平成23年9月29日 秋晴れ(by丑之介)
雨が全然降ってくれません。
日曜日は、先日の台風で延期になった村内各小学校の運動会なので晴れてもいいのですが、三日くらいドドーっと降って欲しいですね~。
雨乞いのウガンしなくっちゃ!
それでは、延び延びになっていた今帰仁中学校職場体験学習最終日の報告をいたしま~す♪
台風接近!ということもあり、この日は午前中に仲宗根の調査に出かけました。
【仲宗根メガネ橋】

▲仲宗根メガネ橋の上で♪ ▲ほらね、メガネ橋でしょ♪
ここはどこかとゆーと、仲宗根のアート美容室の側にある橋の上です。
アスファルトの橋の下をのぞいてみると、そこには昔のアーチ橋が、ちゃ~んと残っているんですよー!! 丑は19年前にお館さまにこの橋を教えてもらって大感激し、以来ここを通る度に覗き込んで「あるある(ニッコリ)」と喜んでいたのですが、ここ久しく確認していなかったので、今日はみんなで見ることができ、とっても嬉しかったです。
橋の名前が分かりませんので、本日めでたく「仲宗根メガネ橋」と命名され、60代一名、もうすぐ50代一名、20代一名、10代四名で渡り初めを行ないました♪

▲このお方はと申しますと・・・・(^^) ▲川の中はこうなっています
後姿の恰幅のいい男性は、アート美容室の渡具知さんです。
顔を写されると指名手配されるので、後姿にしてほしいとのご希望でした。
さて、現在メガネ橋の下は水が流れておらず、土管が埋め込まれています。
渡具知さんによると、ここはかつて北部製糖からの汚水が流れ込んでいたそうです。
真黒で、湯気が立つほどの汚水(汚湯、ですね)が流れ、公害問題になったので、土管を通してそのまま海に流したそうです・・・・住宅街を通る匂いには配慮していますが、それでも海は汚れ放題だったでしょうね~。サトウキビのカスを燃やす煤煙のススも大変だったようです。
【仲宗根の歌碑】

▲仲宗根のミャークニー
さて、仲宗根メガネ橋から歩いて公民館に移動。
公民館の側には、仲宗根のシマを謡った歌碑が立っています。
歌詞は
だんじゅ とよまれる 仲宗根の しまや
黄金森(クガニムイ)くさて 田ぶく 前なち
(とても豊かなシマだよ、仲宗根のシマは
黄金の森を背に、実り豊かな田んぼを前にして)
歌詞に登場する「黄金森」とは、仲宗根の御嶽のこと。この黄金の森に、仲宗根の神様は降りてくるんですね。
歌詞の揮毫は、今は亡き島袋喜厚先生。晩年の喜厚先生にお会いしたことがありますが、とても優しい方で、お館さまに「これをナカハラ君にあげよう!」と島袋源一郎著『国頭郡志』を手渡されていました(ちなみに島袋源一郎はお館さまの母方の伯父さんです)。その『郡志』は背表紙が取れてしまった今も、私たちが度々手に取る貴重本となっています。
【仲宗根のお宮】

▲ヨーイ、ドン! ▲仲宗根のお宮
10代の若者と60代の元若者の階段かけっこ勝負です。
60代のお方の左足の上げ具合が、この勝負にかけた気合いの入れようを物語っているではありませんか!
女性軍は「もー、オトコってすぐに勝負に走るんだから~」と、勝ち負けにあおられることなく、ユッタイクヮッタイ階段を上りました。
階段を上りきると、お宮があります。
ここは仲宗根のウタキのイビ(イベ)にあたります。
中を見てみると石が三箇置いてあり、火ヌ神の形をとっているイビでした。

▲倒れた木の下をくぐるサヤさん ▲下から見たところ
去る台風で倒れたらしい木が、展望台への道をふさいでいました。
倒れた木の根っこの方に回ってみると、大きな木なのに、意外と根は深く張っておらず、地表近くに細かい根が広がっている程度でした。土の中は、土というより黄土色の細かい石の層で、ふくふくと豊かな「山の土」ではありません。
そのために地中深くまで根を下ろすことができず、大風が吹いてもぐっと踏ん張っていられなくて、はがれて倒れてしまったものと思われます。

▲展望台で語るお館さま ▲仲宗根の集落
展望台からは、仲宗根の集落が見渡せます。
数年前に来た時は、木がそんなに高くなくて、もっと集落展開の様子が見えたのになあ。
仲宗根は、まず公民館の南斜面(展望台から下の方)にムラができました。アキトくんのおうちは、もとからのムラに入ります。南斜面は日当たりもいいし、ウタキを背にしているので北風も吹かないし、暮らすのにちょうどいい場所です。ウタキの南斜面に集落が発達しているムラはたくさんありますが、典型的なのが兼次や謝名などです。
現在の北部製糖やコミセン、郵便局一帯はかつての水田地帯です。そこを埋め立てて、家が建てられるように改良したのですね。
元のムラの人口が増え、次男三男四男ご難・・・じゃなくて五男(以下略)は土地を持つことが出来なくなったため、今のターバルやAコープの辺りにムラが広がっていきます。
そして仲宗根のムラが大変革を遂げるきっかけとなったのが、大井川橋の完成です。
今帰仁で「マチ」と呼べる(呼べた)唯一の場所が、この仲宗根です。
かつては「大井川町」と呼ばれていました。
今は、車の時代となり、村民は名護まで買い物に行くことが多くなり、新しい道路の拡張もあって、お店が数少なくなりました。でもまだまだ地元の必要に応えている仲宗根のマチです。

▲事件発生!?
記録中にアキト君が筆箱を落としてしまいました!
「ハブに気を付けろよ~」とお館さまに注意されながら、落とした筆箱を捜査中。
「あっちじゃない?」「あれだよ!」とみんなの声援のおかげで、無事筆箱を安全確保しました!

▲仲宗根の神アサギ ▲獅子小屋
お宮に行く途中に、仲宗根の神アサギはあります。柱の数は8本です。香炉はありません。仲宗根のアサギは、御願の時、自分のシマの御嶽と、玉城にあるスムチナ御嶽と二つの方角を向くので、固定した香炉を置いていないのかもしれません。
アサギの左側には、獅子小屋があります。まだ新しく、換気用の穴も作られていました。毎年獅子を出すので、大事にされていることが分かりますね。
【大井川マチへ繰り出す】
ではマチの探索です。

▲どっちが誰のあ~しだ? ▲ここは実は・・・!
男子二人の足を撮ったのではありません。彼らが立っている側の割れたコンクリートを見にきたのです。
ここは、焼き鳥屋「とりよし」の向かい側の道を国道に向かって入ったスージ道沿いです。
このコンクリートは、大正13年に作られた「大井川消防組」の消防車とポンプの格納庫の跡です。鉄筋はさびていますが、まだきれいに残っているのは、このころのセメントには川の砂を使っていたからで、塩分を全く含まないため長くもっているのだそうです。スゴイですねー!
このブロックの側を排水路が通っていますが、ここもかつては北部製糖工場からの汚水(汚湯)が流れていました。今も生活排水等が流れ込み、水の状態はあまり良くありません。
そして錆鉄筋の後ろの建物は、かつてパイン工場でした。今は車庫になっていますが・・・。
こんなさびれた裏道に消防車があり、パイン工場があったなんて!
ん~、オドロキです。

▲みどり食堂 ▲元の古堅商店
うっすらと「みどり食堂」の字が残っています。今はもう食堂はやっていません。
新城商店の隣には、元の古堅商店(今は大井川橋の右側で卸業をしています)があります。
このような木造二階建ての建物も、ほとんど姿を消してしまいました。
大井川マチには他に映画館、旅館、理髪店、お風呂屋さん、郵便局、質屋、歯医者などなど、お店でにぎわっていたそうです。

▲昔のおもかげそのままの新城商店 ▲お店の中
セメント瓦と花ブロックが美しい新城商店です。昭和35年頃の写真に今のお店がしっかりと写っています。
お店の中の板間が素敵です。夏休みの昼下がり、子供たちがアイスケーキ食べながら寝っ転がったかもしれません。

▲お店の正面で記念撮影・・・のつもり♪
アイスおごってあげるから並んで~と言ったら、ソッコー集りました!

▲どんな味のアイスを新城商店は扱っているのか、クジの当たりの確率はどうなっているのか・・・を調査中の4人

▲迷ってこれを選んだ菜美路さん ▲迷わずこれを選んだ丑之介

▲お館さまはモチロンあれです
お館さまが選んだのは、当然のことながら、明治のアズキバー。
絶対に他のメーカーではいけません。「明治」の「アズキバー」なのです!
新城商店の横にはなぜか「ガフ」(自在駒)があり、アズキバーを食べ食べ、何故自在駒と言うのかを中学生たちに説明しながら、自分で「自在」の意味に笑っていましたが、現代っ子の中学生には全く通じていませんでした・・・・(^^;)。

▲なみこ美容室 ▲なみこさんの・・・同僚・・・?
丑がアイス食べ食べ最も気になったのが、新城商店の向かいにある「なみこ美容室」でした。
ショーウィンドーに飾られた、お正月(?)用のセットをしたお嬢さん・・・の頭部・・・。
なみこさんのお仕事をサポートしてくれた同僚の「みなこさん」(多分)です。
【展示作業の続き】

▲タイトルを貼るアキト、リュウト、ウブ ▲それを撮るサヤ

▲脚立の中学生ツリー! ▲それを撮るサヤ

▲作業終了~! お祝いのパーティで~す♪
なんとか壁展示も進み、サヤのお母さんが差し入れしてくれたパウンドケーキ(めちゃめちゃ美味しかった!!)や文化センターのおやつを食べながら、最終日の感想をまとめます。
【最後の感想】
それでは発表順にご紹介いたしませう。
<大城ウブさん>

今日の午前中はそうじをして、仲宗根に調査に行きました。
初めに調査に行ったのは、アート美容室の側にある川(と言ってももう流れてません)、通称“仲宗根めがね橋”。ちなみに“通称”と言ってますが、今日名前を付けました。前までは製糖工場の排水が流れていたのですが、別の所で人工的に水を流しているようです。
次に行ったのは仲宗根公民館の側にある「歌碑」で、仲宗根青年会のオリTにもプリントされているので、それはそれで見てみたいなと思いました。
イベのことを“お宮”と言っているそうなので、ここでは“お宮”と呼ばせて頂きましょう。
お宮はとても大きくて、中に火ヌ神のような物が見えました。
余談ですが、A君の筆箱が草むらに落ち、大変なことになっていました。A君は頑張って筆箱を撮ってましたよ。
ここで皆さんに(このレポートをネットで見ているであろう人達に向けて)注意です!!
何でもかんでも建物や文化物に落書きしないで欲しいです!
旅の記念とか、デートの記念でもダメです!
この街を見下ろす展望台で、それをものスゴク感じました。
この村は私の知らない事がまだまだまだまだたくさんあって、今回この村の事を二割は知ったと思うので、残りの八割も知りたいです。
今回この体験をさせてもらい、本当に感謝しております。
歴史文化センターの皆さま、観光客の皆さま、この体験を計画し、それを計画してくれた先生方、ミーちゃん(アレグロ姐さん・・・すいません、勝手にあだ名つけました)、最後に私たちと一緒にいてくれた担当の方々、本当にありがとうございました。
追伸:未だになついてくれないミーちゃん(アレグロ姐さん)に涙・・・。お願い!なついてください!
<上間サヤさん>

今日は職場体験学習最終日でした。
そんな今日の午前中は仲宗根に行きました。
まずアート美容室の隣にある、今は流れていない川を見に行きました。
川? こんなところにウガンジュでもあるのかなと思いながら橋の下を見てみると、なんと!もうひとつ橋があるではありませんか!二つのアーチ状になっている橋だったので、本日をもって“仲宗根めがね橋”と名付けられました。
その次に公民館に行きました。
公民館の隣にあった歌碑を見ると、仲宗根は豊かな島であると書いてありました。
階段を登るとお宮が(イビ・イベ)がありました。灯籠には鹿や蛇らしき動物のもようがえがいてあって、何か意味があるのかなと思いました。
進行方向に木が倒れていました。台風で倒れたようです。くぐって進むと、あずまやがあって、そこであきとさんが筆箱を落とすなど面白いハプニングがありました。無事、筆箱を拾い、また木をくぐって帰りました。帰るとき階段から見た風景はなかなかのもので、朝日、夕陽をここから見てみたいと思いました。
神アサギを見て、コンクリートで柱が8本は見たことないので、おおーと思いました。
神アサギのお隣にはちょこんと獅子小屋がありました。他の字と比べるとしっかり作られていて、ちゃんと保管されてていいなと思いました。
この4日間で私たちが学んだことはたくさんあります。ですが、今帰仁のことで知らないことはまだまだたくさんあります。これからも歴史について積極的に学んで行きたいです。4日間本当にありがとうございました。
P.S.石野さん、アイス買ってくれてありがとうございました。みんなで食べるアイスはとてもおいしかったです。
あと、みーちゃんが全然なついてくれなくて、なんというか、まさに「猫」(きまぐれという意味で)だと思いました。
<大城アキトくん>

職場体験期間のこの4日間、もう頭に入りきらないほど、たくさんのことを学びました。
神アサギや火ヌ神、ハサギンクヮーやフプハサギ、アカン墓や今帰仁城跡のことまで、本当に小さなことや細かなことまで色んなことを学ぶことができました。
もちろん、そういう調査ばかりではなく、展示会の展示物の準備や、仕事場の清掃などもうやりました。
時には押しピンの押しすぎで親指が痛くなったりすることもあったり、沖縄県地図をロープで30分ほどかけて何とか作り上げたものを「おかしい」の一言によって、ロープが取られたりもしました。そういったことの中でも、こういうことを苦ととらえずに学ぶ姿勢で考えると、また違ったふうに感じました。
例えば、親指が痛くなった時なんかは、その分展示物を多く見れたことや、ロープの件では、沖縄の詳しい形も知ることができました。
このような貴重な時間を過ごさせて頂き、本当にありがとうございました。
<奥原リュウタくん>

ぼくは職場体験で、歴史文化センターに行きました。
歴史文化センターでは今帰仁村のことや、沖縄のことを学びました。崎山の神ハサギに行き、神ハサギをスケッチしたり、話を聞いたり、実際に神ハサギに中に入ったりもしました。
今帰仁の字についても学びました。
今泊は今帰仁ムラと親泊ムラが合併してできた字で、神ハサギは二つあり、一つは今帰仁ムラ、もう一つは親泊ムラの神ハサギだということも教えてもらいました。
歴史文化センターの展示会の準備もしました。大変だったけど、やりがいがあって、良かったです。
歴史文化センターで学んだことをこれからも忘れずに、ちゃんと学んだことをいかそうと思います。
・・・・アキトくんとリュウタくんの感想は、後日学校に帰ってから書いたもので、ちょっと「よそいき」の体裁ですが、最終日当日に二人が読みあげてくれた感想は(写真に写っているノート)、めっちゃ面白かったですよ! いつか二人がそれを送ってくれたら紹介することにいたしまして・・・・(^^)。
この「よそいき」感想からも、アキトくんとリュウタくんが学んだことが伝わってきますね☆
先日、学校を通して四人のお礼状が届きましたので、みなさまにもご報告いたします。
【奥原リュウタ】
拝啓 朝夕、冷たさを感じる時節となりましたが、その後おかわりなくお過ごしでしょうか。
先日の職場体験学習では大変お世話になりました。
お忙しい中、私たちのために貴重な時間をさいていただきまして本当にありがとうございました。
驚いたことは自分の家のちかくに獅子小屋があったことです。
いろいろ学ぶことができました。ありがとうございます。
歴史文化センターの皆様もお体に気をつけて頑張ってください。また、これからもお世話になることもあるかと思います。そのときはよろしくお願いします。 敬具
【大城ウブ】
拝啓 朝夕、冷たさを感じる時節となりましたが、その後おかわりなくお過ごしでしょうか。
先日の職場体験学習では大変お世話になりました。お忙しい中、私たちのために貴重な時間をさいていただきまして本当にありがとうございました。
私はこの体験をしてみて、目上の方とのコミュニケーションを取るのも大事だし、地域の行事、地域の大切さを知ることができました。職場の方々を見て思ったのですが、皆様楽しそうに仕事をされていて「この仕事が好きなんだな」と思いました。
職員の皆様お体に気をつけて頑張ってください。これからもお世話になるかと思います。というより、お世話になります。そのときはどうぞよろしくお願いします。 敬具
【上間サヤ】
拝啓 朝夕、冷たさを感じる時節となりましたが、その後おかわりなくお過ごしでしょうか。
先日の職場体験学習では大変お世話になりました。お忙しい中、私たちのために貴重な時間をさいていただきまして本当にありがとうございました。
この四日間で字やノロ、歴史など色んなことを知ることができました。最初は自分が住んでいる字にヌンドゥルチがあるなんて知らず、そもそもヌンドゥルチを知らない私でしたが今回の職場体験で、自分の字だけでなく玉城、仲宗根、諸志・・・色んな字について知ることができました。字を探索することでたくさんの驚きや発見がありました。
一番驚いた、心に残ったことは仲宗根の階段です。よっさほいさと長い階段をあがると、前にはお宮、後ろには仲宗根の景色が広がっていて、仲宗根にこんなお宮があるのか、こんなに景色がいいところがあったんだと何か感動しました。このことを母に話すと仲宗根にそんなところがあったのと驚いていました。その反応を見て、してやったりと思いました。(笑)
私はこの短い間でたくさんの色んなことを学べました。今まで全く知らなかったことを知ることができました。
私は、職場体験の職場が歴史文化センターで本当によかったと思います。
歴史文化センターの皆様もお体に気をつけて頑張ってください。また、これからもお世話になることもあると思います。そのときはよろしくお願いします。 敬具
【大城アキト】
拝啓 朝夕、冷たさを感じる時節となりましたが、その後おかわりなくお過ごしでしょうか。
先日の職場体験学習では大変お世話になりました。お忙しい中、私たちのために貴重な時間をさいていただきまして本当にありがとうございました。
僕たちは、最初すごく緊張してしまいました。しかし、職場の雰囲気にすぐ慣れてなんとか落ちついて仕事をすることができました。
仕事はもちろん大変なこともありましたが、とても貴重でためになったひとときでした。
時にはおしピンの押しすぎで痛い思いをしたり、筆箱を大変な所に落してしまったりなど、いろいろなハプニングもありましたがそれもみんな意味のある貴重な経験だったと思います。おかしありがとうございました。ごちそうになりました。それらも全て含め、この四日間本当にお世話になりました。ありがとうございました。
歴史文化センターの皆様もお体に気をつけて頑張ってください。また、これからもお世話になることもあるかと思います。そのときはよろしくお願いします。 敬具
来年はどんなメンバーが来るのかな?
楽しみにしている歴文三人組です(^^)
2011年9月29日(旧9月3日)天気:☀ 気温:31/26(歴文センター:tama)
さて、9月ももう終わり・・・旧暦も9月に突入!
季節の変わり目、やんばるでも朝夕は過ごしやすい気温になってきました。みなさん体調は大丈夫でしょうか。お腹出して寝たり、油断しているといけませんよ!!
つい先日、館長からの差し入れがテーブルの上に・・・可愛い箱を開けると、中からこれまた可愛いサーターアンダギーが!!
館長がコネコネして作った!と思いきや・・・(そこ期待したのに・・・(^-^))
愛妻からだとのこと。ありがとうございます。食べきる前に、記録係り・tamaはしっかりと写真をパチリ♪
職員一同でしっかりたいらげましたとさぁ~~~♪

▲ラッピングもステキ♪ ▲お味もステキ♪
2011年9月28日(旧9月2日)に、古宇利小学校から7人の生徒(5・6年生)が「発展 ふるさと学習」と題し、自らのテーマをもって歴文センターへとやってきました!!
ちょっと最初は緊張気味の子供たちでしたが・・・

▲まずは自己紹介から! ▲今日の説明を館長から!
調べ学習のテーマ (丑之介氏担当)
・「古宇利の海」ウミンチュの歴史・昔の漁法 (6年 昭)
砂糖をつくる時、うっとりしたら手をとられる人が多くいたと知った。
農業では、昔肥料をウマや牛などのふんをはっこうさせてくつっていく。
ウミフズイというのを初めて知り、昔おじいちゃんたちが使っていたと知りました。
・「古宇利の農業について」古宇利で収穫される農作物 農業の歴史(6年 海)
ぼくは、ターチバァーを初めてみました。
古宇利は水がなくて、穴などをほって水などためてくらしていた事がわかった。
昔は米がなかったので、イモでくらしてした事がわかった。
古宇利は土がうすいため、少ない土で作れる作物をつくっていた事が分かりました。
・「古宇利の農業について」農家の工夫・苦労、台風対策、防虫(5年 怜奈)
漁業では海の中にも漁にかんする名前などがあったことがわかったし、漁業も頭を使って漁をしているんだなあと思いました。
昔の人は農業と漁業の話しを聞いて、農業ではいろんな道具を使ったり、どんなして野菜を作るかくふうしたりして野菜を作っていたのですごいと思いました。

▲説明を懸命にメモ ▲漁具・農具のスケッチ中・・・

▲発見したことをひとり3つ発表!
調べ学習のテーマ (tama担当)
・「ウンジャミについて」ウンジャミの歴史(6年 光)
ウンジャミにさんかして空手やエイサーをやりました。
300年前から続いたものが今年なくてさびしかったです。
・「古宇利島の年中行事について」(5年 ドナ)
神行事の中で豊年祭に参加しました。私はカジマヤーをおどりました。きゃくせきの一番前に神人がすわっておどりを見ているのをおぼえています。豊年祭のおどりは神さまに見せるためのものだと知っておどろきました。後ろにある森はただ木がはえているだけだと思っていたけど、ナカムイノウタキという神さまのいる大切な場所だと初めてわかりました。

▲頭抱えながら奮闘中・・・ ▲実際、唐船旗を持ってみた!

▲豊年祭・ウンジャミに参加した経験も発表
調べ学習のテーマ(館長担当)
・「古宇利小の歴史」設立・戦後の学校、児童の様子(6年 菜々)
昭和17年、古宇利小学校の生徒は90名、昭和33年小中いれて200名あまりいました。現在は10名です。古宇利の学校に100名にふえてほしいなと思いました。
・「古宇利島の戦争について」他の地域との比較(6年 考輝)
島西がわにスルルガマという大きなどうくつがある。戦争の時七、八十名の人がにげた(ひなん)。スルルガマにひなんした人はみな助かった。
スルルガマは古宇利島にとってひじょうに大事な場所です。

▲たくさん書いていた二人・・・ ▲絵に色もつけてみた!

▲生徒が増えてほしい!などの希望も発表!
最初の緊張はどこへやらぁ~。それぞれしっかりと聞く・書く・話すができていました!素晴らしいですね!今回吸収したものを自分のシマへ持ち帰って活かしてくれるでしょう。顔・名前しっかり覚えたので、記憶が薄れないうちにまた来てくださいね!(^-^)

▲今度は全校生徒でまた来てねぇ~。
2011年9月16日(旧8月19日)天気:☁/☂ 気温:31/27 (歴文センター:tama)
今帰仁中学校職場体験2011年9月14日水曜日(3日目)
・朝の清掃
・ミーティング(昨日の報告)
・1日展示作業(地図づくり)
この日は1日中館内での展示作業です。まっさらな白い壁に展示物をはりつけていきます。そして、黒いヒモで沖縄をかたどっていくのを男子組が奮闘したのですが・・・女子組から不評だったようで・・・(^_^;)・・・気を取り直して地図づくりに奮闘する4人でした!この奮闘ぶりは後篇の感想に滲み出ています!!
壁がみんなの手でうまっていく様子などのビフォー・アフター、画像でお楽しみ下さい!

▲朝の清掃・モップ班(リュウタ&アキト) ▲ほうき班(サヤ&ウブ)

▲朝のミーティングの様子 ▲この白い壁に挑む4人の勇士!

▲黒いヒモでオキナワをかたどっていく男子組 ▲これは幻のオキナワとなる・・・
▲新たなオキナワづくり ▲気を取りなおして・・・壁をうめる

▲カッターを使うのも勉強! ▲切り取りした展示物

▲貼りつけられた展示物 ▲白い壁がうまりました!

▲作業にも慣れてきたかな ▲丑之介さんも感心!
4人のステキな感想が読めるんだよ!コーナーです♪
【上間サヤ】
今日は掲示物の作成をしました。
最初は男子2人が頑張って黒いひもで沖縄の地図を作っていましたが、バランスなどの件もあって、とりやめになりました。それで、急きょ沖縄県の地図をコピーして貼ることになりましたが、パーツが足りない!とか、このページここじゃない!とか色々ありましたが、取り敢えず完成。
次に昔の村名の間切をはっていきましたが、どこにどの間切を貼ればいいのか分からず、仲原さんにほとんど聞いて完成。
完成した沖縄の地図を壁に貼ると、次はノロに関する資料を貼りました。
勾玉や水晶やかんざしの写真もあって、心うばわれました。
勾玉のあのカーブ加減、なめらかな表面、素材に使われている石の透明感、艶、元から勾玉は好きだったけど、ノロさんの勾玉を実際に見て、もっとすきになりました。
それからノロの分布図を切って貼ろうとしましたが、「これはどこに貼るの?」やら「え、これ、久志だった!?」やら「首里はどこにあるのー!!」とここでも大変でした・・・・。
色々とハプニングもありましたが、朝、壁に何も貼られてなくて真っ白だったのが、夕方の今になると、地図やら写真などが貼ってある。
何て言うか・・・達成感を感じました。
それに、こんな大変なことを展示会の度にやっている職員さんは、とてもすごいなーと思いました。
後1日間、よろしくお願いします。
【大城アキト】
三日目は、どこにも調査をしに行かず、一日中室内での仕事でした。
朝来てまず清掃して、次にノロ関係の展示物を展示する作業をしました。
僕が最初にやったのは、黒いロープで、沖縄本島を作りました。沖縄本島を作るときは、キャタツに上って、30分間ほど時間をかけてやっと完成しました。
しかも、作成中に、足にキャタツがくいこんで痛かったり、押しピンをずっと親指で押したために痛かったり、押しピンがしょっちゅう取れたりなどの苦難を乗り越えてやっと完成させた沖縄本島が、30分くらいたってからすぐ取られたので、悲しかったです。
結局そのあと、コピーした各部位の沖縄本島をパズルのように組み合わせて、沖縄地図を完成させましたが、中には重ねないとできない部分もあったりして、すごく大変でした。
その中で、昔は市町村で呼ばれていなく、間切で呼ばれていたことや、特に黒いロープで沖縄地図を作ったことに関しては、集中していたので、沖縄の詳しい形を知ることもできました。黒いロープはとんだ無駄骨ではなかったので、何だか安心しました。
【大城ウブ】
今日の午前中は、二階展示室・講堂のそうじをして、十月にある展示会の展示物を作成しました。
展示物の内容は、沖縄県内のノロ関係のことについてでした。
最初は絡まっている黒いロープを必死でほどき、ほどいたロープで沖縄県を型どろうとしたけど、バランスが悪いという理由で、あえなく断念・・・。大丈夫!! 頑張ってたから!!
地図で沖縄を細かく(断片)コピーし、そのコピーした紙で展示物を作りました。
村・町・市のことを、昔は「○○間切」といったそうです。なので、今は無い村に四苦八苦しながら、ノロさんの遺品の写真を展示物にしたり、そうこうする内に、真っ白だった壁は、私たちの手で、みごとな展示物に仕上がりました。
ノロさんの勾玉を見て、「きれいだね~」と友だちと言ってみたり、色々と楽しい一日でした。
【奥原リュウタ】
今日は展示会の準備を一日していました。
午前中は黒いヒモで沖縄県の地図を作って完成させましたが、沖縄に見えなくて、またはずしてしまいました。
午後は、黒いヒモの代わりに地図をコピーしたものを切って、テープで貼って、沖縄の地図を作りました。
これはどこなのか、どことつながっているのか、あまりわからなくて苦戦してたけど、なんとか完成したときにはうれしかったです。
他にも間切とかを切って完成させた地図に貼りました。
間切がなにか分からなかったけど、今で言う「村」ということが分かりました。
今もそのままの地名があったけれど、聞いたこともないところがあったので、勉強になりました。
・・・・みんななかなかに苦戦したようですが、それぞれ難儀を通して体験が広がったり、気づきがあったりして、みんなの素直な感性に拍手拍手です!(by丑之介)
2011年9月15日(旧8月18日)天気:台風きます!の空模様。(歴文センター:tama)
今帰仁中学校・職場体験 2011年9月13日火曜日(2日目)
さて、職場体験2日目も盛りだくさんのスケジュールで行われました!
【午 前】
・朝の清掃
・ミーティング(昨日の報告)
・今帰仁城跡、発掘現場の見学
清掃を終えて、ミーティングです。1日目はお休みだったtama。さっそく“お仕事インタビュー”を受けました。それから崎山、諸志、今泊調査の報告をしてもらいます。「コゲラが虫を食べていた」など、素晴らしい視点でいい報告を受けました!
(中学生達の感想は13日アップのゆら~ゆらをご覧ください!)

▲朝のミーティング中・・・
さて、一息ついたら世界遺産である今帰仁城跡の見学です!ここでは学ぶ会ガイドの平良さんより、グスクや北山時代のレクチャーをうけます。
城跡では季節外れの桜が開花していました。4人を歓迎しているのかも♪
また、4人は琉球新報の通信員・新城さんよりインタビューを受けたりしちゃいました♪
それから発掘現場へおじゃましましたよ!暑い中作業に奮闘する皆さんに脱帽です!
▲まずは世界遺産について ▲グスクの拝所にご挨拶
▲城跡内の枯れたデイゴの木を前に ▲季節はずれの桜が!
▲新聞載るかもよ!

▲発掘現場! ▲何が出てきたのかな?
【午 後】
・事前学習
・玉城調査
・ミーティング(1日のまとめ)
お昼休みをとり、午後はまず事前学習ということでスライドで字玉城、仲宗根についてお勉強!それを踏まえて、現場・玉城へと調査に出かけます!玉城は・・・「玉城ムラ」と「岸本ムラ」と「寒水ムラ」の3つのムラが合併してできたムラであること。などを現場で蚊に襲われながら4人は学ぶのであった・・・

▲午後一番の座学は寝むそう(^_^;)
▲玉城ムラ神アサギのかつての石柱!

▲玉城ムラの神アサギなどをスケッチ中の男子組(リュウタ&アキト)

▲岸本ムラの神アサギです

▲寒水ムラの神アサギはリュウタの「秘密基地」でした♪

▲ワタンジーを渡れず・・・ ▲渡れないので記念撮影♪
そして、みんなの素晴らしい感想が読めるコーナーです♪
アイウエオ順に紹介いたします♪
【上間サヤ】
今日の午前は清掃・ミーティングと今帰仁城跡の学習をしました。
清掃はモップと窓、展示品のガラスケースふきをしました。
やっぱり勾玉はきれいだなーと思いながら掃除していました。
今帰仁城跡ではガイドの平良さんが城について教えてくれました。今まで流して見るだけだったけど、改めて説明を受けながら見ると、色んな発見があり、色んな歴史を感じました。
石垣に使われている石は恐竜が現れる以前の石だそうです。生物の死骸が岩になった岩石が使われていて、他の城で使われている石より密集度が高く、だからこそ米軍のかんぽう射撃にも耐えることができたのだと思います。
本丸へ上がるための新しい道は、観光用に作ったと思っていたけれど、本当はお宮を作るために作った階段だったそうです。「あれ?じゃあお宮は?」と思ったら、お宮を作る前に戦争が終わったから作ってもしょうがないということで、中止になったそうです。
もともとの道の旧道はけっこうせまくて、なんでこんなせまいんだろうと疑問に思っていると、平良さんが、登ってきた敵の上から石を投げつけて攻めにくくさせるためだよ、と教えてくれました。改めて、先人の知恵はすごいなと思いました。
午後は玉城、仲宗根に調査しに行きました。
まず玉城の神アサギを見ました。昔と比べると瓦になっていたり、コンクリートになってたけど、昔の柱が側に置いてあって、昔の形が残っているのはいいことだなーと思いました。
アサギの向かいには、ムラを移動して150年の記念碑がたっていて、いつまでも忘れないように形が残っていました。
次に岸本に行って、ヌンドゥルチやニガミヤ、アサギを見ました。アサギは瓦とコンクリートの柱でできていました。岸本ヌンドゥルチは、この間の台風のせいでか屋根が少し崩れそうでした。
中に入ると仏だんがあって、箱が置いてありました。箱を見てみると、中にうすよごれてしまった神衣装が入っていました。こんなにボロボロになったヌンドゥルチを見ると、やっぱり時は過ぎてゆくものだなあと思いました。
何年後も、何十年後も、豊年祭や神への感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいです。
【大城アキト】
二日目は、今帰仁城跡と玉城の、玉城神アサギと岸本神アサギと寒水アサギに行きました。
まず最初に、今帰仁城跡に行きました。
今帰仁城跡は世界遺産にも登録されていています。
今帰仁城は作った人が分かってなく、昔は周りに今帰仁ムラ、親泊ムラ、志慶真ムラの三つのムラがあり、北山は中国と18回くらい貿易をしていたことが分かりました。今帰仁城は1609年までは城があったが、1609年に薩摩に焼かれてしまったということも分かりました。
今帰仁城は山城になっていて、そのため掘りがなく、自然の地形が利用されていて、石垣は約2億3000年前の生物の死がいからできた固い石で築かれていました。石にはアンモナイトの化石があるものもありました。
石垣には矢はざまもありました。
あと、今から約60年前ぐらいにおきた太平洋戦争時も、この石垣はほとんど無傷だったそうです。
次に行ったのは玉城の、順番に、玉城アサギ、岸本アサギ、寒水アサギでした。玉城神アサギは4本の柱のかわら屋根で、もちろん壁はなく、入口も低かったです。今はかわら屋根でコンクリートの柱ですが、昔はかやぶきの屋根で、石柱だったらしく、4本の石柱は神アサギのそばにありました。また岸本と寒水の神アサギも同じ形状でした。
玉城は、昔、玉城と岸本と寒水の三つのムラが合併したため、神アサギが三つもありました。
二日目は神アサギなどの神様のことばかりでなく、今帰仁城跡のことについても詳しく知ることができたので、嬉しかったです。
また、残りの二日間もしっかりと頑張っていきたいです。
【大城ウブ】
今日の午前中はお城の見学をしました。
城の周りは崖なので「護るに易く、攻めるに難い」図形で、だから代々の北山王は強かったのかなと思います。
大奥の今帰仁バージョンもあって、びっくりしました。
石垣は戦争が終わっても無傷だったということを聞いて、びっくりしました。
城をつくったのも、城に石垣をどうやって運んだのかも不明だそうで、色々と不思議に思いました。
今日の午後は、玉城、仲宗根に調査に行きました。
玉城は神アサギが三つあって、玉城の神アサギ、岸本の神アサギ、寒水の神アサギという風に分かれていて、神行事は大変だろうなあと思っていたら、神行事は(今は)一切しないというのでおどろきました。
大井川の近くに階段があって、下を見ると昔の子供たちが通った道があったので、「昔の人はこんな道を通っていたのかあ」と思いました。
【奥原リュウタ】
二日目は今帰仁城跡と玉城のアサギ、岸本のアサギ、寒水のアサギを見に行きました。
最初は今帰仁城跡に行きました。
今帰仁城跡は世界遺産に登録されています。
今帰仁城跡はだれが作ったか不明だそうです。
今帰仁城跡の周りには昔、今帰仁ムラ、親泊ムラ、志慶真ムラの三つのムラがあり、北山は中国と18回の貿易をしていたということがわかりました。
午後は玉城に行きました。
玉城では、玉城・岸本・寒水の三つの神アサギを見ました。最初は玉城の神アサギを見に行きました。玉城の神アサギは屋根がかわらで、柱が4本ありました。神アサギの近くに祠が三つあり、ウタキの中に神アサギがありました。
次に岸本の神アサギに行きました。岸本の神アサギも柱が4本で、屋根がかわらです。神アサギの近くにはヌンドゥルチがありました。
次に寒水の神アサギへ行きました。形は他の神アサギと同じで、かわらの屋根で、柱が4本ありました。その近くに獅子小屋がありました。
僕は近くに住んでいて、神アサギと祠があることは知っていたけど、獅子小屋があると知って驚きました。
こんなに近くにいるのに、わからないことがあったので、ちゃんと学ぶようにしたいです。
・・・・今日の感想もいいですね~。記録の基本を押さえていますね。
4人とも、学芸員の資質、十分ですぜ!(by丑)
■た、た、台風接近!(また~?)(by丑之介)
またまた台風がやってくるようです。
明日はブロックの氷を買って、冷凍庫に入れておかないとヤバイっす。
先ほどから雨が降り出しましたが、午前中は青空も見えました。
今帰仁グスクのクヮンソウの花が、先週から満開のオレンジをお披露目してくれています。
グスクでお仕事している操さんが、とってもきれいな写真を撮って下さいました!

▲グスクの外郭に咲くクヮンソウの花

▲石垣とクヮンソウ
ん~、美しいっ!
操さん、写真ウマイなあ。石垣の入れ方がいいですよねー(^O^)/
そしてキビシイ残暑が続いてはいますが、見上げると空が高くなり、空気が変わったのが感じられます。

▲天高く、雲、石積みと語りけり
さて、今日で最終日を迎えた今帰仁中学校職場体験学習。
終わった直後、私の隣の机で口笛を吹いている人の姿有り。
寂しさを紛らわせているのでせうね~。
最終日の報告は、みんなの感想が来てからアップします。
四人ともお疲れ様でした!
See you again!
平成23(2011)年9月13日(火) 天気:晴れ時々曇り by丑之介じゃ
みなさん、こんにちは~。
豊年祭疲れを引きずっている、丑之介です(*_*;
さて、今年もやって参りました、今帰仁中学校職場体験学習!
昨年は「まったり系」のユキト君とケイゴ君の4日間についてご報告致しましたが、
今年は男子二人(リュウト君、アキト君)、女子二人(サヤさん、ウブさん)、計4名が歴史文化センターで「学芸員のオシゴト」について学びますのよ~。
朝、館内をお掃除してもらったあと、3階事務所と1階事務所へ挨拶に回り、「はたらくおじさん(やおねーさんやおにーさん)」の様子や仕事内容を紹介。
また、文化センターの展示も説明し、今帰仁の歴史について、簡単なレクチャーを行ないました。
その後、各自の住んでいる字の調査へ。
午前中は、昔の神ハサギの姿を残している「崎山」の調査です。
■崎山の神アサギ

▲崎山の神ハサギ
崎山の神ハサギは、屋根が茅葺きで、珊瑚の石の柱が8本あります。
香炉があり、ウタキの方向を向いています。

▲神ハサギの中で♪
神ハサギの中で説明を聞きながらノートを取る4名。
ちなみに4人が座っている「材木」は、タモト木(タムト木)と言って、
神ハサギにやってきた崎山の神様が座るところでーす(~_~;)

▲崎山の豊年祭の舞台で・・・
舞台のところで、神ハサギのスケッチをする4人。
豊年祭の舞台は、踊りを神さまに見せるため、神ハサギに向かって建てられています。
■崎山ヌンドゥルチ

▲崎山のヌンドゥルチの祠の前
崎山に住んでいた中城(仲尾次)ノロさんの屋敷跡です。
中を見ると、石が三箇づつ、2セット置いてあります。
この三箇の石は火ヌ神です。
火ヌ神がある、ということは、ここは人が住んでご飯を食べていた場所、ということですよん。
中城ノロさんは、兼次・諸志(諸喜田)・与那嶺・仲尾次・崎山の5つのムラの祭祀を担当しています。
学区から見ると、崎山は隣の今帰仁校区ですが、祭祀から見ると一緒なんですよね~。

▲ヌンドゥルチのスケッチをする若き研究者のみなさん
スケッチをする、ということは、じっくり観察して、何がここにあるのか、どういう状態なのかを目と手を通して理解し、ぼんやり通り過ぎない、ということです。
■諸志の神ハサギ

▲諸志の神ハサギの前で
諸志は「諸喜田ムラ」と「志慶真ムラ」が合併して「諸志」となったムラです。
どーして神ハサギが二つあるのでしょう?というナゾを解くためにやってきました。
ムラは一つになっても、神様は一つにできない・・・という事例なのです。
諸志の神ハサギの前にも、公民館の舞台が作られています。
■今泊のハサギンクヮー

▲ハサギンクヮーで、聞いたことをノートに記録する
ここからお館さま登場!
神ハサギやコバテイシや獅子舞のことなどを、仲原節で熱く語ります。
中学生たち、ノート取るのに必死です。
でもこれに慣れると、調査は格段にうまくなりますのだ!
今泊は今帰仁ムラと親泊ムラが、何回かくっついて離れてを繰り返した後、昭和47年に合併してできた字です。
ハサギンクヮーは今帰仁ムラの神ハサギで、「小ハサギ」の意味です。
1609年、薩摩の琉球侵攻で今帰仁グスクが焼き討ちにあったあと、グスク周辺にあった今帰仁ムラ・志慶真ムラが移動し、今帰仁ムラは現在の今泊の東側部分に定着しました。
そのとき既に親泊ムラは現在の今泊の西側部分に移動してきていたため、親泊ムラの神ハサギをフプハサギ(大ハサギ・親ハサギ)と呼び、後から移動してきた今帰仁ムラの神ハサギをハサギンクヮー(小ハサギ)と呼ぶようになったと考えられます。
ハサギの前には、空間があり、ハサギナー(ハサギ庭)と呼ばれ、ムラの人々が集まる場所です。ハサギンクヮーの庭には豊年祭の舞台は作りません。
ハサギンクヮーの西側、ウッチハタイに獅子小屋があり、旧暦8月11日(ヨーハビ:妖火日といいます)と15日に獅子を出します。獅子は魔物を追い払い、ムラに入ってこないようにする役目があります。
ハサギンクヮーの側にコバテイシの木があり、コゲラがいました。

▲ハサギンクヮーの守り番
ハサギンクヮーの守り番で、獅子小屋の守り番でもある仲尾次さんです。
お館さまのまたいとこ位のおぢさんです。
お館さまによると、今泊の獅子に似てきたそうです。
■今泊(親泊)のコバテイシ

▲公民館前のコバテイシ
県の文化財指定となっているコバテイシの木の下で、ノートをとる4人です。
右手は今泊の公民館です。
コバテイシの木の向かいに親泊ムラの神ハサギであるフプハサギがあります。
ですから、今泊はムラとしては合併したけれど、神様は一つにできなかったわけですね、諸志のように・・・。
今帰仁村の19の字には、神ハサギ(アサギ)のない字があります。
それは~越地・呉我山・渡喜仁の三つの字です。
なぜ神ハサギがないかというと、明治・大正時代に分字して出来た新設字には、神ハサギをつくる必要がなかったからなのです。
コバテイシの木の後ろ側に、先日行なわれた豊年祭の舞台がお片付けされていました。
今泊の豊年祭は馬場が会場となっています。神ハサギももともとあった場所から何回か移動して現在の場所になったため、舞台はハサギを向いてはいませんが、ウタキの方向(今泊のウタキは今帰仁グスク)は向いています。ウタキの神様に見せてあげるんですね。
豊年祭は、ムラが一番元気な様子を神様に見せて、「お陰さまで、」の感謝の気持ちを表したものです。
長者の大主は120歳ですが、その大主に風車を持った子供たちがついていくのは、子供があたくさん生まれてムラが繁盛してほしいという願いなのです。
■クビリガー

▲クビリガーを覗き込むと・・・
志慶真側の下流、クビリに行く途中にある井戸です。
中を見ると、きれいに積まれた石垣を確認できます。
海の近くなので、少し塩の味がしたそうです。
今泊には、このような掘り抜きの井戸が数多くあります
■ハンジェークヤーの跡

▲ハンジェークヤー(鍛冶屋)の跡
クビリの側の洞窟はハンジェークヤーの跡です。中にはフイゴと香炉があります。
鍛冶屋は農具を修理したり、石灰を焼いて赤瓦を留める漆喰を作っていました。
洞窟の前の方に、赤瓦の破片で丸く囲った場所があり、焼けた土を見ることができます。
■津屋口墓

▲今泊の海岸近くにある津屋口墓
津屋口墓は、北山監守三世和賢のお墓です。
監守の一世尚韶威は首里の玉陵に、二世、四世~八世は運天の大北墓に葬られていますが、三世の和賢だけは一人ここに葬られています。
その理由はわかっていませんが、伝承によると和賢は今で言うハンセン病に罹り、グスクを出て、この地に屋敷を作って療養していましたが、亡くなり、そのままその地をお墓にしたのだそうです。そして和賢の遺言により、一代限りの墓とするために、墓口を設けなかったといいます。
そのため、この墓を開かない墓、アカン墓と呼ぶようになったそうです。
昭和39年に盗掘未遂事件があり、墓の前面が壊されそうになりましたが、結局開けることができず、直後の確認調査でも無理に開けると墓全体が壊れる恐れがあるというので、今でも開けたことはありません。
■ハンジェークヤーの図像

▲ハンジェークヤーの祠 ▲ハンジェークの守り神の図像
この屋敷の方がクビリのハンジェーク屋だったかは分かりませんが、屋敷の側にハンジェークの祠があり、そこに鍛冶屋の守り神の掛軸が保管されています。
鍛冶屋の守り神を「フーチヌ神」と言い、フイゴの神様です。
左右手が6本あり、刀や斧やサイを持っています。
写真が小さくて分かりにくいのですが、左側の小さな掛軸がフーチヌ神です。
フーチヌ神の手前に、鉄を打つカナヅチが供えてあるのが見えますね~。
もう鍛冶屋を営んでいなくても、道具を大事にし、時期になったら御願をしていることが分かります。
■調査のまとめ

▲アキトとリュウタ ▲ウブとサヤ
文化センターに戻って、今日の調査のまとめをします。
調査のまとめ方の説明をしました。
1.行った場所(字:アザ)を書く
2.調査ポイントを書く(神ハサギ、ヌンドゥルチなどなど・・・)
3.そこがどんな場所だったのか、何が分かったのか、どんな発見があったのかを書く
4.発見したことを踏まえて、自分の感想を書く
以上のアドバイスを聞いて、4人がまとめた調査記録を以下にご紹介いたしま~す!
【大城アキト】
今日は崎山と諸志と今泊に行きました。
まず最初に行ったのは崎山でした。崎山では神ハサギと崎山ヌンドゥルチを見に行きました。神ハサギは天井が低く、柱が8本あり、香炉がウタキの方向にあり、神人という人がその方向を向いておがみ、神様をになって、またその神様をになった神人をムラの人がおがむことによって、神様をおがむことと同じ意味になるということがわかりました。
崎山ヌンドゥルチは、昔崎山に住んでいた中城ノロの屋敷あとで、ウマチーの時、兼次・諸志・与那嶺・仲尾次・崎山の5つの字の書記さん達がここに来て、神人と一緒にウガンしていることがわかりました。あと、ほこらの中には、火ヌ神を表す3個の石が1セットになって、その場所で煮炊きをして暮らしていたシンボルがありました。
次に諸志へ行きました。諸志は昔、志慶真村と諸喜田村という二つの村が合併したため、神ハサギが二つありました。
そして最後に今泊に行きました。今泊ではハサギンクヮー、フプハサギ、津屋口墓、井戸、その他いろいろを見ました。
ハサギンクヮーという神ハサギは崎山の神ハサギと違っていて、かわら屋根で入口も大きく、柱も4本しかありませんでした。またフプハサギも同じような形状でした。
あと、今泊も、親泊村と今帰仁村の二つが合併したため、神ハサギが二つあるということが分かりました。
他には津屋口墓という墓がありました。この墓は他の墓と違っていて、中に入るための穴がどこにもありませんでした。そのことからアカン墓と呼ばれていることがわかりました。このアカン墓には北山監守三世の和賢という人が葬られていて、この人は昔「ハンセン病」という病気にかかってしまい、本人の遺言もあり、自分以外の人は入れないようにしたという伝説があることもわかりました。
また今泊には井戸もあり、だいぶ昔のもので、現在は全く使われていませんが、旧暦の正月に水の神様の拝んだりし、大切にされていることもわかりました。
初日だけでもこんなに多くのことを知ることができたので、あと三日間も学べるだけ学んで、地元のことを深く知ることができたらなあと思いました。
【奥原リュウタ】
今日は崎山、諸志、今泊に行きました。
最初に崎山に行きました。崎山では最初に神ハサギを見ました。神ハサギは入るときにかがまないと入れなくて、サンゴの石の柱が8本ありました。ハサギの中にはタモト木などがあり、香炉はウタキの方向を向いていました。神人は香炉の方向を向いておがむことで、神様を担って村人たちと間接的に会うことができるということがわかりました。
次に崎山ヌンドゥルチへ行きました。崎山ヌンドゥルチは中城ノロの屋敷跡で、そこには火ヌ神がありました。火ヌ神は3個の石が1セットになっていて、その場所で煮炊きをしていたシンボルです。
次に諸志に行きました。諸志には神ハサギが二つありました。それはなぜかというと、諸志は諸喜田ムラと志慶真ムラが合併してできた字だからです。
午後は今泊に行きました。今泊では最初にハサギンクヮーを見に行きました。神ハサギの隣にコバテイシの木があり、コゲラが虫を食べていました。
今泊の公民館の隣にフプハサギがありました。フプハサギもハサギンクヮーと同じ形をしていました。
他にも防空ごうの中でかじ屋をしていたというところにも行きました。かじ屋は農具の修理をしていたそうです。でも明治時代から平民が赤がわらを使ってもいいことになり、しっくいも作っていたそうです。
一日でこんなに学べたので良かったです。
【上間サヤ】
今日は崎山、諸志、今泊に行きました。
崎山では、神ハサギと崎山ヌンドゥルチを見ました。
神ハサギで座った木が、神様の座る木、タモト木だったのでびっくりというか、おそれというか、すみませんという気持ちいっぱいでした。
ヌンドゥルチが崎山にあるとは・・・全然知りませんでした。お母さんがウートートに行くのは知っていたけど、どこでやるのかなーとずっと疑問に思ってたので、今回知ることができてよかったです。
諸志では二つの神ハサギを見ました。説明を聞かないで見ていたら、何で二つあるんだろうと、ずっと疑問に思っているに違いありません。
今泊でも二つの神ハサギを見ました。そのうちのハサギンクヮーには獅子とよく似た仲尾次さんがいました。今日は旧暦の8月15日だったらしく、獅子を獅子小屋から出す日だったそうです(丑注:獅子は夕方6時半から出す予定だったのですが、土曜日の豊年祭の道ジュネーで雨に濡れ、獅子の毛が乾いていないため、この日は獅子は出ず、御願だけとなりました)。妖怪、魔物、病気などを追い払える獅子はすごいなと思いました。
神ハサギがあるところは何故広いのか。
何で、舞台があるところに神ハサギがあるのかと不思議に思っていたけど、今日説明を聞いて、あぁー、だからか~と納得しました。
今日一日だけでもいっぱい頭につめこんでパンパンだけど、まだまだ学ぶことは他にも色々あると思うので、たくさん吸収していきたいです。
【大城ウブ】
今日は崎山、諸志、今泊に行きました。
崎山では、崎山の神ハサギ、崎山ヌンドゥルチを見て、諸志では諸喜田の神ハサギ、志慶真の神ハサギを見て、今泊ではフプハサギ、ハサギンクヮー、しし小屋、井戸、津屋口墓、かじ屋のふいごを見ました。
一つの字に神ハサギが二つあったり、三つあったり、逆に神ハサギが一つもない字があって、不思議だなあと思いました。
神ハサギの特徴は屋根が低く、そのため頭を下げないと入れないので、背の大きい人はどうやって入るのかなと思いました。ここでも先人の知恵はすごいなあと思いました。
私には分からないことがたくさんあるので、どんどん調べていきたいです。
中学生の感想、素晴らしいですね~!
一律に同じこと書くのでなく、それぞれの視点で気づいたことを、自分の言葉で書けるところが、さすが中学生です。
あと三日間でどんなふうに成長していくのか、とても楽しみな4名です(^^)
2011年9月14日(旧8月17日)天気:☀ 気温:31/27(歴文センター:tama)
館長のパソコンが無事に復活し、たまったネタをまとめなきゃっ!!
っと、思いつつ・・・つつ・・・調査した画像がたくさんある・・・
そしたら台風15号が発生したし!その後ろに熱帯低気圧が2つもできているとか!
今後の動きに用心しなくてはいけませんね。
っていうことで、歴文センターの小ネタをひとつ・・・
歴文センターお外の甕のホテイアオイが綺麗に咲きました。
ちょっと調べてみると・・・
「ホテイアオイ(布袋葵) ミズアオイ科 沼地でみられる浮遊性の多年草」だそうです!
わたしには、マナティーのおやつにしか見えない(笑)
(かつて海洋博にてバイトしていたtama。担当はウミガメさんでしたが、マナティーさんの餌やりのお手伝いをしたこともあり、その時このホテイアオイもあげていたんです!
ハムハムと可愛く食べるんですよ!)

▲甕いっぱいのホテイアオイ ▲綺麗な葵色!
歴文センターのアイドル、みーちゃんネタ・・・
中秋の名月もおわり、秋へと向かうもまだまだ日中は暑いですね。そんな中みーちゃんの涼のとり方はというと・・・

▲溝にハマる! ▲段差は枕!

▲溝にオサマる! ▲バックショット♪
心なしか、みーちゃんの首元の毛がふわふわしてきたような・・・
はやめの冬支度でしょうかねぇ~~~

▲ふわふわ、みーちゃん
平成23年9月2日(金) by 丑
みなさま、お久しぶりです。
やっと第3回ムラ・シマ講座の最後の報告をupすることができました。
脱力しています。
ムラ・シマ講座のページに飛んで、ご覧くださいませ♪
2011年9月1日(旧8月4日)天気:☀ 気温:32/28 (歴文センター:tama)
今日から9月。夏休みも終わりましたが、旧暦は8月に入り村踊り(豊年祭)のシーズンですね!!
2011年8月31日(水)に国立劇場おきなわにて「公園記録鑑賞会」が行われました。映像の内容は・・・
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「沖縄・宮古・八重山の唄と踊り」 昭和44年(1969)7月13日収録 於:国立劇場(東京) 約140分 |
と、いうものです!新城徳祐氏の手により大切に保管されてきた映像資料のひとつです。
プログラムとしては・・・
第一部
1、今帰仁村湧川の路次楽
2、宮古島上野村新里の獅子舞
3、名護町世冨慶の国頭サバクイ
4、竹富町黒島東筋の家造りジラバ
5、多良間村塩川の棒合せ
6、宮古島上野村新里のクイチャー
7、竹富町西表祖納の筋踊り
第二部
8、浦添村勢理客の獅子舞い
9、多良間村塩川の笠踊り
10、竹富町黒島の三十三年忌法事の念仏踊り
11、名護町世冨慶のエイサーと野遊び
12、宮古島上野村新里の棒振り
13、八重山の夜遊び
今回遠くは宮古・八重山から、名護市世冨慶はバスを貸し切って40名ほどで、今帰仁は字湧川からと実際にこの舞台に立たれた方がた等も来場されていましたよ!
1969年、復帰前でパスポートをもっての東京公演である。今から42年前、現在はイベント化されつつある村踊りもかつては生活の一部と密着した素朴なものであった。それらを映像で見られることはとてもよかったと思います。
しかし、棒や衣装や獅子をもっての上京は大変でしょうね・・・沖縄本島から東京も長い距離だが、宮古・八重山からは果てしない距離だろう。
(今は飛行機でビュ~ン!でしょうか。かつてはお船でどんぶらこっこ~!)
これらは3日間ある公演の最終日の映像であった。団長を務めた新城徳祐氏はあいさつで「これは1年に1度行事の時にしか見る事の出来ない、貴重なものたちです」との言葉があったが、まさにその通りである。また、現在も変わらずにいるところと、大きく変わった所の比較ができよう。
湧川の路次楽については、衣装が今現在と異なるのでこれらも記録が必要といえるだろう。
たまたま私らの前に座っていた女性が、御年88歳で実際舞台に立たれた方でした。食い入るように映像を見ていましたが、当時を振り返り何を思ったのでしょうか・・・聞いてみたいものです。
また、名護市世冨慶からは青年会から若者3人も同行していたようで、一緒にきていた先輩方からには「これを引き継いでいかんと!」と言われたようで、プレッシャーに感じたかも!とか言うお話しもきけました。
(世冨慶団の帰りのバスの中では、どう継承していくかで喧々諤々していたようです!ぜひそのバスに同乗したかった・・・(^o^))
かつての形を残していくことも大事ですが、祭祀同様に芸能も時代と共に変化していくものなのでしょう。
さて、その変化をこの目に焼き付けるべく、今年も村踊りの記録に奮闘したいと思います!!
この公演の最後では、会場の皆さんと「てぃんさぐぬ花」を合唱する場面も収録されていたのですが、実際に国立劇場おきなわでの会場でも、我々も合唱し楽しく鑑賞会は終了しました。
こぼれ話し・・・今回、踊りと唄と泡盛を愛する課長と共に出かけたのですが・・・
課長の隣りに座るおばさまに「やんばる(今帰仁)の人?」と開口一番に質問されていた。
課長は「なぜ分かったんですか?」と尋ねると・・・
「色黒いから!」とのこと・・・やんばらーは隠せないようだ(笑)
▲公演会のチラシ ▲大盛況でした!