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2012年3月8日(旧2月16日)天気:☁ 気温:22/18 (歴文センター:tama)

 今年は桜の開花が乏しかった年でした・・・また、桜の開花が終えるとすぐに開花を始めるのが“コガネノウゼン”(沖縄では“イッぺー”の名で親しまれていますね♪)の黄色い花であるが、今年はこちらの開花が例年より遅い気がするなぁ~。なんて思っていたら、先週土曜日に歴文センターの裏にあるイッぺーの木にひとつの花が開花しているのを発見し、喜んでいたら・・・日、月曜日と気温があがり、お陽さまが出ていた影響か一気に開花!

   

  ▲鮮やかなビタミンカラー♪             ▲ブラシの木にも新葉と蕾が!

 

 また、同じく歴文センター後方からみえるクボウの御嶽には、新緑がみえはじめています!

  

▲新緑のクボウの御嶽         ▲クボウの御嶽とみーちゃん

 

最近のみーとトラ・・・

 トラは、みーちゃんに肉きゅうパンチをくらうも懸命に仲良くしようと後をついていきます。

  

▲ひなたぼっこ中・・・        ▲何だかんだで仲良しなのだ・・・


2012年3月2日(旧2月10日)天気:☁/☂ 気温:23/18(歴文センター:tama)

遅ればせながら・・・2012年2月8日(水)に行われた「第9期運営協議会研修会及び第2回運営協議会in読谷村」のまとめです。

 

【巡見コース!】

 ・読谷村立歴史民俗資料館・美術館

   ↓

 ・座喜味城跡(座喜味親方寄進燈籠など)

   ↓

 ・お昼(都屋漁港)

   ↓

 ・喜名番所跡(讀谷山村道路元標)

   ↓

 ・サシジャー(湧泉)(旧伊良皆集落)

   ↓

 ・尚巴志王之墓(その他周辺古墓やカー)

   ↓

 ・渡具知港(特攻艇秘匿壕など)

   ↓

 ・泊城公園(今帰仁と関わる伝承を持つ墓など)

   ↓

 ・運営協議会

   ↓

 ・今帰仁村へ戻る

 

読谷村の概要

 読谷村は沖縄本島中部に位置し、比謝川を境に南は嘉手納町と隣接。三山分立時代の中山圏の最北端にあたるので、昔は大北(ウフニシ)または大西ともよばれました。

 日本の村としては2番目に人口が多い!

 

読谷村立歴史民俗資料館・美術館

 読谷村立歴史民俗資料館は、村立美術館を併設した施設で、世界遺産のひとつ座喜味城跡の麓にあります。

 展示には読谷の歴史資料などの中には、米軍基地に収容された読谷村の様子をつたえる写真や資料などもあり、現在の風景と照らし合わせることで読谷村の一面をみることができたように思います。

 また、資料館の一画で“読谷村の民話”を紹介するコーナーといったものにも引かれ、歴史文化センターでもこのアイディアを取り入れられないかなどといった、刺激になりました。

 建物2階には・・・“小粒ながらも地域に根ざした美術館”として、織物や焼物を中心とした作品等で多様な企画展を開催する読谷村立美術館があります。

今回は「やちむん展」という企画展がちょうど開催されていたことで、さまざまなアーティストさんによる多彩な焼物をみることができました!


    

▲読谷村の博物館・美術館へ   ▲仲宗根館長さんに資料館内の案内をしてもらいました!

 

座喜味城跡

 2000年12月に今帰仁城跡と共に世界遺産に登録された座喜味城跡は読谷村の歴史的・文化的シンボルで、読谷山按司「護佐丸」によって15世紀初頭に築かれました。城は頂上の標高は130m近くあります。丘の地質は本島北部から続いてくる国頭礫層群の「名護層」です。沖縄のグスクでは、座喜味城のような軟質な地質条件は多くありません。この地質条件はこの城の造りを左右しており、石垣の基礎は土層を掘り込む方法で、どっしりと幅広く築かれています。石垣の曲線が美しいグスクです。

 沖縄戦において日本軍の高射砲陣地となり、戦後は一部が米軍基地となっていたため破壊や削平が多いが、幸いにも基礎部分が残っていたので、それを基に復元をしました。

  

  ▲座喜味城跡へ            ▲アーチ門では古い形態とされる!

 

(座喜味親方寄進燈籠)

 座喜味城跡内にある座喜味親方寄進燈籠。「道光二十三年癸卯三月吉日 奉寄進 副使 座喜味親方」と文字が刻まれています。道光23年は中国年号で西暦1843年に当ります。

ここに登場する座喜味親方とは座喜味盛普です。護佐丸の子孫で「毛氏」に属します。盛普は読谷山間切の総地頭(いわゆる領主)を務め、後に琉球の国政をつかさどる三司官の職までついた人物です。琉球国を代表し約100名の使節団で江戸上りに行き、約10ヶ月を要した副使の要職を無事に果たし帰国できた感謝の念から領地である座喜味城の拝所に燈籠を奉納したと考えられています。

 (資料には燈籠には頭の三角石があるのだが、現場ではその石が無く窪みを利用し賽銭入れになっていた・・・)

    

 

 

お昼(都屋漁港)

 字都屋は、読谷村の西側海岸に面している。かつては字座喜味の屋取集落であったが、1947年(昭和22)に分立。都屋港は戦前、漁港または山原船による砂糖や木材の移出入港としてさかえ、現在は漁業の本拠地として整備されています。

 都屋漁港では、大型定置網漁業体験などのレジャーも楽しめ、沖縄美ら海水族館のジンベエザメもここの定置網にかかっていたとか・・・

 漁港内には新鮮な魚介類が食べられる“いまゆうのお店・海人食堂”があり、この日はここでの昼食となりました!

  

 

喜名番所跡

 王府時代の役場である読谷山間切の番所跡。読谷村喜名の国道58号にまたがった箇所にあります。当初は座喜味にあったがのちに喜名に移されました。1908年(明治41)役場に改められ、戦前まで使用されていました。74年(昭和49)国道工事によって敷地中央を分断されています。戦争で焼失したが1996年(平成8)に戦前の石垣と正門が修理され、2004年(平成16)に古い写真や出土した瓦などを基に琉球王府時代にさかのぼる木造瓦ぶき建物が再現されました。正門門柱の左右には1853年のペリー一行来訪時に描かれた版画を元にリュウキュウマツが植えられました。また古くからの屋敷囲いの土手やフクギも残っています。

 門前には南部と北部を結ぶ宿道が通っており、もっと古い時代には「読谷山駅」と呼ばれ、琉球王府の命を伝えるために間切を結ぶ早馬が準備されていたようです!

ここは役場兼宿場の性格を備え、ペリー提督配下の探検隊もここで休憩し、地元民から鶏や卵、などのサービスを受けたとか・・・現在も読谷村の観光案内所兼休憩場所となっています!

  

 

 

(讀谷山村道路元標)

 喜名番所跡の正門土手には「讀谷山村道路元標」の文字が刻まれた石柱が残っています。道路元標は距離測定の基準点で、読谷山村が行政の中心地であった役場敷地内に設けられたのだと考えられます。(いつ建てられたか確かな資料はない・・・)

 戦後、村名は「山」をとって「読谷村」となりました。この元標は「読谷山村」という過去の村名をしっかり伝える証人です。

  

 

サシジャー(湧泉)(旧伊良皆集落)

 サシジャーは旧伊良皆集落の北側にある湧泉です。伊良皆集落は戦前純農村で闘牛が盛んであったようです。戦後はサシジャーのある一帯は米軍基地(嘉手納弾薬庫)に接収されたため、新宅地を国道58号線西側に造成して居住。サシジャーをはじめとする湧泉が多く、水が豊富で豊かな田園風景が広がる集落であったようです。

 サシジャーは昔から水量・水質とともに良好で、主に飲料水に利用していました。現在でも年2回の清掃が行われ、野菜の土落しにと、伊良皆集落の方々から大切にされています。

  

 

尚巴志王之墓(その他周辺古墓やカー)

 サシジャーの後方の森に尚巴志王之墓があり、その森はサシチムイとなっています。ムイやカーの名称も尚巴志の出身地である佐敷にちなんで名づけられたものだと思われます。

 墓は改築がなされ、岩陰をコンクリートブロックでおおわれています。当初、第一尚氏王統の墓は首里の天山陵にありました。伝説によると金丸(のちの尚円王)擁立の政変で一族は先祖の遺骨をたずさえ各地に逃げました。尚巴志王、尚忠王、尚思達王の遺骨は平田之子、屋比久之子によってここ読谷の地に隠されたようです。また、近くにはそれら平田之子、屋比久之子の墓も残っています。

 その他周辺には伊良皆集落の人々が生きた証として、火の神やカー跡などが点在しています。


  

 

渡具知港(特攻艇秘匿壕など)

 比謝川河口にあるのが渡具知港。戦前はここからサトウキビなどを乗せた船が那覇港へと出港したりと重要な港のひとつでした。戦争がはじまるとここは米軍物資の陸揚げ用港となりました。港には「特攻艇秘匿壕」がいくつも見られました。旧日本軍が沖縄戦の直前に特攻艇を隠すために掘ったといわれていますが、実際に使われることはなかったそうです。

 周辺にはその他にもカーの跡やノロ墓が見られました。また、港から見える対岸(嘉手納町)の岩壁の古墓は圧巻!

  

 

泊城公園(今帰仁と関わる伝承を持つ墓など)

 渡具知港からほど近くに泊城があり、現在は公園へと整備されている。ここは昭和12年には「沖縄南八景」のひとつとして絵はがきで紹介されるほどの景勝地であったようです。

 伝承によると、千代松(丘春)はここへと逃げのびてきたとのことです。近くにはその丘春を葬ったと伝わるお墓があります。

 

  

 

運営協議会

 巡見を終えて、ここで一服しながら運営協議会を行いました。今回廻ってみての感想などをお一人ずつ伝えてもらいました。皆さん、お疲れさまでした!次年度もぜひよろしくお願いします!

 

 参考資料:『読谷村 文化財めぐり』


2012229日(旧28日)天気:☁/ 気温:2116(歴文センター:tama

 

2月24日(金)に歴文センターに可愛いお客さんが来館されました。

古宇利小学校から!3人(3年生・2年生・1年生)!昔の道具についての調べ学習です。

今は“あたり前”になっている「電気・ガス・水道」が昔の人々はどうやって生活していたかをお勉強。それを知ることで心豊かにしてゆくのです・・・

 古宇利島は特に水の便では苦労したのを子供たちに知ってもらい、古宇利のおじぃー、おばぁー達がどんなにすごいかに気が付いてくれたらいいですねぇ~。

 

  

  ▲ランプについて            ▲パンドーについて

▲みんなスケッチがうまい!!

 

 

 みーちゃんネタは・・・コピー機の上!!

お尻が暖かいのでしょうか・・・それとも何かの意思表示なのでしょうか・・・

      ▲ちょこんとっ♪


2012221日(旧130日)天気:☁ 気温:2115 (歴文センター:tama

 

 ついに旧暦の1月が終わり、2月へと突入しますね。寒くなったり、温かくなったり・・・まだこれから2月じゃあしばらく続くかもしれませんね。

 

 さて、歴文センターの談話室にて、国頭地区文化財行政連絡協議会 パネル展「やんばるの歌碑展」と題して、只今企画展を行っています!

 国頭地区12市町村。北は国頭村から南は金武町・恩納村に伊江島・伊是名・伊平屋などの離島を含めそれぞれの地区から沢山ある歌碑の中から選出していただきパネル展示しています。

 展示のみならず、自ら歌(琉歌)をしたためる体験コーナーも設けているので、ぜひ足を運んでそちらもチャレンジしてみて下さいね!!

 

  

    ▲「の」が歌っています♪                ▲展示の様子・・・

  

   ▲キャプションも充実して解りやすい!    ▲チャレンジャーお待ちしています!  

 さて、ここで“ネコネタ”♪

みーちゃんのもとにお友達がやってきました。お城の主である“トラちゃん”(♂)。

おじぃネコとおばぁネコってことで「老人クラブ」なんてスタッフから言われたり(笑)

 しかし、ここのネコ達はご長寿ですことっ!!

  
 ▲2匹仲良くお食事中・・・        ▲とっても気の優しいトラちゃん
 

    ▲絶妙な距離感!!


201222日(旧111日)天気: 気温:1512 (歴文センター:tama
 

 寒い日が続きますね・・・太陽が出たのはほんのつかの間・・・

 

 ある日の昼休み。女性スタッフ2人が、本を見ながら何やら編み物をしていた。可愛いですねぇ~。何を作ってるのかたずねると・・・・

 

「練習です!今年は間に合わないので、来年に向けて(笑)とりあえず、みーちゃんの敷き布団を目標に!」

 

なーんて話をしていたら、気がつくと手編みはみーちゃんのヘッドドレスに!

何をされても構いなしのみーちゃん。

温かい敷き布団を楽しみにしてるんだなっ♪

みーちゃん、愛されてていいなっ♪

  

   ▲いいなぁ~手編みぃ~

 昨日、スタッフ皆でグスクへ行き、現場視察。グスクのねこちゃんたちも元気に過ごしておりました。

  

    ▲屋根の上でくつろぐ・・・              ▲食事中の茶トラ

  

      ▲白黒くん。名は無い・・・           ▲最近、人馴れしてきたよ♪


2012年1月26日(旧1月4日)天気:☀/☁ 気温:16/12 (歴文センター:tama) 

 今日1月26日は「文化財防火デー」となっています。法隆寺でも放水したようですね。
こちら今帰仁城跡でも防災訓練が行われましたよ!
 いざという時の通報手順やお客さんへの避難誘導などをチェックしました。
しかし、放水は迫力あってカッコイイですね!
   (訓練以外ではお目にかかりたいものではありませんが・・・)
 日頃からの意識が必要だと改めて感じました・・・ 

  
   ▲館内アナウンスもスタンバイ       ▲訓練びよ~り♪

 

  

  ▲志慶眞城郭で火災発生!まずは初期消火!     ▲オレンジ部隊、放水開始!!

  

   ▲虹できていました♪          ▲無事に鎮火、訓練終了の記念撮影

  

 お天気はいいが、吹く風が冷たいやんばる。桜の開花に拍車がかかります。
ミツバチさんたちがせっせと桜蜜を集めていました! 

  

     ▲賑やかになってきました           ▲濃いですなぁ~
 

  

   ▲その頃みーちゃんは・・・         ▲(おまけ)グスクねこ。殿くん。 

 文化財に限らず、各家庭での防災も心がけることが必要ですね!
 ちなみに・・・tama家は旧正月早々に、危くマイホーム焼くとこでした・・・床が黒く焦げただけで済みましたが(^_^;)


2012年1月18日(旧12月25日)天気:☁ 気温:20/14 (歴文センター:tama)

 

 いよいよ、旧暦も御願解きから、クリスマスに突入!!桜も開花し始めるでしょう♪

2012年1月21日~2月5日には今帰仁村桜まつりが行われます!!

 昼間見る、雄大な城壁も素晴らしい今帰仁城跡ですが、桜と共にライトアップされた城跡もまた魅力的ですので、足をお運びください。

  

 さて、歴文センターも桜まつりの雰囲気を!ということで、玄関口を華やかに飾ってみました!って、私ではなくスタッフの方が演出してくれたんですが・・・

 (注意:この桜は折ってきたのではなく、倒木の枝打したものですからぁ~)

 ひと足先に訪れたお客さんを喜ばせてくれたようです。

 桜の開花情報は、こちら歴文センター・ホームページにて館長が更新しているものと・・・グスクを学ぶ会(ボランティアガイド)さんによるホームページにても情報が得られますので、来場の参考にして頂けたらとおもいます!!

  

    ▲玄関も華やか♪                ▲キャプション付きです

    ▲キレイな色をみせています。


2012年1月11日(旧12月18日)天気:☁ 気温:17/15 (歴文センター:tama)

 

文化環境研究所発行『Cultivate №38』今回の特集「文化財の保存と再生」となっていた。そんななかでも「博物館学芸員による文化財レスキュー」という記事には胸を打たれた・・・。それは東日本大震災による“博物館(文化財等の資料)による被災”についてである。マスコミ等による報道で人々による被災は映像などで目にすることはあったが、博物館または文化財に関わる人間からすると資料の被災もまた重要な問題であるということを改めて気づかされる。しかし、それはただ専門人たちだけによる問題ではない。その文化財等と共に生きてきた地域の人々とも深く関わる。

 

 この記事には岩手県遠野市立博物館の前川さんによるインタビューになっている。

 前川さんが震災後初めて一人車で変わり果てた陸前高田市立博物館へと向かったときのこと、建物は残っていたものの・・・

 

「正面入口には瓦礫が押し込まれ、中に入っていくことができません。それでも中をのぞき込むと、2階の一部に民俗資料が引っかかっているのが見えたのです。(これは何か残っているんじゃないか)と期待しました。建物の後ろに回り込んだら、1箇所、ドアが開くところがあって、中に入ることができました。その部屋にはカモシカの骨格標本や縄文の土器のカケラが散らばっていましたが、私より先にどなたかが散乱した物を寄せた痕跡があって、ノートの切れ端のような何かのメモ書きが残されていました。そのメモ書きには、(博物館資料を持ち去らないでください。高田の自然・歴史・文化を復元する大事な宝です。)と記されていた・・・。

それを見た時に、亡くなった博物館職員の声のように感じました。博物館とともに生きた人間であれば、誰もがそう思う言葉です。結局そのメモ書きは、いまだにどなたが書いたものなのかわかりません。」

 

  「レスキュー初日は、海と貝のミュージアムで岩手県立博物館、陸前高田市の皆さんと一緒に標本を岩手県立博物館に運び出す作業をしました。私は民俗専門ですから、県立博物館の自然、考古、歴史、民俗、文化財科学といった広い分野の学芸員が一緒に働いてくれたことが、本当に心強かったと思います。

 陸前高田市立博物館の専任職員は全員亡くなったか、行方不明になってしまったのですが、これまで博物館に関わってきた陸前高田の方々が、ご自身たちも被災されてご自宅を流されているにもかかわらず、避難所から集まってきてくれて・・・

 常時10人近い方が常駐し、そこに被災文化財等救援委員会が募集したレスキューの方々や博物館、学会有志などが集まり、自分の得意な分野の技術を駆使して、洗浄・修復作業が行われています。」

  

 「“レスキュー文化財展”を開催きっかけは、個人では持ちきれないという文化財が出て来るのではと気づかされました。もしかするともう処分された方もいるのでは、と。“文化財レスキュー”という活動を行っていることを知らせなければいけないと思ったのです。そうでなければ瓦礫と一緒に「泥にまみれた紙」「壊れてしまった古い道具」として、文化財が捨てられてしまう・・・それらのことを知って欲しかったのです。それがこの展示会を開催した理由です。そしてレスキューは、文化財の専門家だけではなく、市民レベルでも、小学生でもできることがあることを知ってもらいたかったのです。

実際に小学生にもレスキューを体験してもらいました。“高田の宝物は残っているよ”って教えてあげたかったんです。そして“みんなの力で高田の宝物をきれいにしようね”って。子供たちはイキイキと興味を示してくれます。それに自分たちがしていることが、歴史を残すことにつながっているんだとわかってくれれば、それが今後、高田に生きる子どもたちの誇りになって残っていくと思うんですよ!」

  

「これほどの被害を受けた三陸では、100年後に文化財を残すためには、私たち博物館、文化財関係者だけではなく、市民レベルでも強く意識しないと残っていかないのではないでしょうか。

 遠野市立博物館は、文化財レスキューに関わるだけでなく、博物館の復興に向けた支援活動を模索していきたい。今回の東京での文化財レスキュー展は、ひとつのモデルケースです。こういった長い目での博物館の復興支援を、ぜひ全国の皆さんにお願いしたいと思います。」

 

(上記「」記載は、文化環境研究所発行『Cultivate №38』「博物館学芸員による文化財レスキュー」前川さんによるインタビューより抜粋)

  

 これらの記事を読んでいると、思い起こすのは2010年にあった奄美大島の豪雨被害である。こちらでも民家はもちろんのこと、博物館関係施設などの建物や民家にあった資料、アルバムなどが泥にまみれてしまった。復興に向かおうとしている奄美を実際に訪れた時、住んでいる人達の力強さを感じたのは確かではある。

 研修会での来島であったのだが、報告をしてくださった際に奄美文化財の方は「奄美は元気です!」との言葉で締めくくった、その言葉が何よりも胸を打たれた!

 奄美の人達もまだ傷は癒えていないかもしれないし、我々も忘れてはならないことであろう。

  

 冒頭にも記したように、この記事をどうしても多くの方々に紹介したかったのは、文化財等とは、決して専門の人達だけのものではなく、それらと共に生きてきた地域の人々とも深く関わるのだということである。そのことから守ることも専門の人達だけではなく、地域の人々の意識も必要であるのだ!そして、それらはもちろん、大人たちだけのものではない!ということ。それらのメッセージがこのインタビュー記事から伝わってくるのではないだろうか・・・

 津波や豪雨といった災害にあって、もしくは失ってからではなく、今一度、自分たちの足元にある地域の歴史を示すもの(決して文化財に指定なんてされていなくてもいいんです!)それらと対話し、周りの子供たちに伝えるという作業をしてみてはいかがでしょうか??

 

 

▲文化環境研究所発行『Cultivate №38』「博物館学芸員による文化財レスキュー」
前川さんによるインタビュー記事(写真)


2012年1月7日(旧12月14日)天気:☂→☁ 気温:18/15 (歴文センター:tama)

 

 年が明けて、2012年が始まりましたね。今年もどうぞ館長、職員、みーちゃん、そしてこの歴文センター(HPも!)共々宜しくお願いします!!

 

 さっそく新年からみーちゃんネタで♪

 寒いこの季節は、ストーブと向き合います。この後ろ姿がいいですねぇ~。

    ▲ストーブが恋人

  

      ▲カゴに納まりぬくぬく♪           ▲狭くないかい?(^_^;)

  

 新年にみーちゃんは、気前よく皆にお年玉を持ってきてくれました!!

 でも、それはちょっと・・・・(;一_一)

 まだまだ現役ネコのみーちゃん。まだまだ長生してほしいものです。

  

    ▲「ほらっ、お年玉♪」              ▲アニメの世界の2ショット!


2011年12月7日(旧11月13日)天気:☀ 気温:24/21 (歴文センター:tama)

 

 とある日・・・

お客さんより館内に“ネコ怪獣”その名も「みー」が現れたとの情報を聞きつけ早速、調査隊のtamaが出動!!なんとそこには巨大化したネコ怪獣「みー」の姿が!!

巨大化したみーは大暴れで、ドシンッ!ドシンッ!と、今帰仁村や古宇利島の上を破壊する勢い!!大変なことに・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/


 その一部始終を記録したのでお知らせします。

  

 ▲巨大化したネコ怪獣・みーを発見!!  ▲我が物顔で今帰仁の上を“ドシン!ドシン!”

  

  ▲何かを発見し、次の瞬間!!         ▲古宇利島をネコ怪獣「みー」が襲う!!

 

その後の古宇利島は大丈夫だったのでしょうか・・・心配です。 

 

 それから今日の午前中のみーちゃんは・・・

お客さんに「ネコ、死んでるよ!」と言われてました・・・

写真撮りにいってみたら「擬態中」でした・・・(^_^;) 

地面と色がいっしょのみーちゃんです。

  

       ▲みーちゃん、擬態中・・・              ▲地面に同化してます。

  

     ▲黒い肉きゅうのもち主!                 ▲ろーあんぐる。


2011年12月3日(旧11月9日)天気:☁ 気温:21/17(歴文センター:tama)

 

 黄色いツワブキ、クリスマス花の赤いポインセチア、童謡などにも歌われるサザンカにと、冬の花がぞくぞくと咲き始め、沖縄にも冬の気配が漂ってきましたね♪

 そんなある日、「12月3日(土)に本部町で面白い事があるらしい!」との情報が館長のもとに・・・

  

 しかし、この日館長は・・・

今帰仁グスクを学ぶ会(ボランティアガイド)20名余を引き連れて“南山へ攻め入り”を決行!エイッ!ヤァーッ!やっているので忙しく・・・(詳細は報告を待ちましょう!)

 

 丑之介氏は・・・

 修学旅行から帰ってきたばかりの息子さんのことやら何やらと忙しく・・・

 

tamaは・・・

 「みーちゃんのお腹、あったけぇ~」っと、ふぬけるのに忙しく・・・

 

  ▲「みーちゃんのお腹、あったけぇ~」 

 

 って、わたくしtamaがいちばんフリーなのが発覚し、本部へと乗り込むことに!!

 本部博物館では「沖縄の衣装展-琉球時代から現代に至る衣の変遷-」という企画展が開催され、関連イベントとして「琉舞と講演会」が行なわれました。

 展示では、植木さんによる甦った沖縄の衣装たちが展示されていました。神衣装なども再現されていました!

 講演会では、その植木さんよる沖縄の衣装たちへの思いをお話ししてくださり、

「忘れないように、忘れてはいけないものを再現している!」

「再現した衣装を琉球舞踊や組踊などにも積極的に取り入れてほしい!」などの言葉が並びました。

 舞踊では、植木さんによる再現された衣装に身をつつんだ可愛い子どもたちの姿や綺麗な女性たちの姿をみることができました。

 また、あいさつをして下さった友利さんの和服も植木さんによるものだそう!お似合いでしたぁ~!

 またまた、最後のアムシラレを勤めた方の娘さんが来場されており“母の衣装”の再現を喜ばれたようです。

 と、センターをお留守にしていたので最後まではいれなかったのですが本部町でいいものみれました!

 

  

  ▲行ってきました!本部博物館!      ▲行ってきました!企画展!

  

     ▲再現された沖縄の衣装たち!       ▲神衣装もありました!

  

    ▲会場は満員!               ▲キマってますねぇ~!

  

  ▲当時の晴れ着などを再現           ▲伊波普猷の写真資料から再現

▲再現されたのがこの衣装(伊波普猷写真資料)


2011122日

 

 各ムラを守ってきた、又はムラの歴史をつくりあげてきた、御嶽などの拝所が時代の流れとともに姿を変えようと・・・もっと最悪には姿さえ消そうとしている・・・

 

 沖縄は戦後アメリカ統治下におかれ、昔の面影がなくなってしまうという時代を体験し御嶽などの拝所なども翻弄されてきた。それから沖縄は本土復帰をむかえ再び“現在という時代”に御嶽などの拝所は翻弄されようとしている・・・ 

 

 瀬長島(瀬長グスク)はまさに“2つの時代”に翻弄された。いやっ、今まさに現在進行形でされようとしている・・・。

 瀬長島は豊見城村に属する無人島である。那覇市と隣接し海中道路で結ばれ、ゆっくり車で島一周10分程度の小さな島で、那覇空港に隣接し航空機の離発着が真近でみられるスポットして有名である。

【離島だった時代・・・】

瀬長島はサンゴ礁のイノーにあり、干潮時には干潟に囲まれる。「中山伝言録」巻4に「砂嶽」、1890年(明治23)の沖縄県全図に「砂長島」と記される。「琉球国由来記」によれば、瀬長島は志茂田(すむだ)・我那覇の沖にあり、干潮のときには浅瀬を歩いて、満潮のときはクリ舟で渡ったという。これは渡し舟で字内の各家庭が自前のクリ舟をだして輪番で漕ぎ手を担当することが字で定められており、クリ舟を所有しない家がこの担当になった場合には他家から舟を借りて役目を果たしていたという。

 また、この島ハブが多く、ニワトリを飼うと必ずハブに襲われたので、ニワトリを飼わなかったという。戦前は36世帯ほどが暮らしていた。カーは按司井・波平井などがあり、小さい島だが水が豊富であったようだ。我那覇ノロの崇所として瀬長ノ嶽があったとか。

 

【アメリカの時代・・・】

 沖縄戦後は米軍の弾薬庫として接収された。そのため住民は島に帰れず、以後現在も無人島である。1977年(昭和52)に返還されるも、那覇空港を離発着する航空機の騒音が激しく、市営野球場以外に跡地利用はなされていない。

 米軍接収以後、島の拝所の神を現在の対岸にあるアカサチムイに合祀したようだ。

 

【グスク時代・・・】

 小さな島であるが瀬長グスクが存在していた。瀬長按司の居城であったという。規模や縄張りは不明で、米軍基地として使用されたため地形が大きく変形し、遺物なども失われた・・・。

 

【現在という時代・・・】

 瀬長島には綺麗なリーフがわずかながら残っている。しかし、空港拡張工事でそれも失われる可能性があるとか・・・・

 また、瀬長島の危機はこれだけではない。ホテル建設に入っている。完成予想図からすると島全体がホテルになるようだ・・・

 実際、高台の拝所(グスク?)のほんの数メートルのところが工事現場だ。拝所はどうなるのだろうか・・・

  

  ▲神社風の社殿や鳥居(アカサチムイ)      ▲カーもここに合祀された(アカサチムイ)

  

     ▲按司墓など(アカサチムイ)           ▲地質調査も楽しそうだ!


  

    ▲整備された瀬長交差点            ▲航空機から自衛隊機から・・・


  

    ▲島内の竜宮神            ▲子宝岩の石碑

  

   ▲合祀された拝所のひとつ(カー)      ▲高台にあった拝所(瀬長グスク?)

  

▲対岸は空港、手前は開発工事現場  ▲綺麗なリーフ、これが「砂島」の面影?


▲市営野球場内の巨大な「シオマネキ親子」(親:滑り台 子:手洗い場)

  

   ▲平敷屋朝敏関連の石碑(3つ)              ▲平敷屋朝敏関連の説明板

     ▲瀬長島にゃ~~~
 

 豊見城村はもうひとつ、大切な場所が消えようとしている・・・・

それは、豊見城グスク(豊見城御嶽)である。

 

【豊見城グスク】

 ラムサール条約の登録湿地で貴重な鳥獣や湿地の生き物が生息する漫湖の北側に面したところに位置する。山南王の弟、汪応祖が築城したという。それは14~15世紀初頭と思われる。グスク内には豊見城御嶽がある。

 

【豊見城御嶽】

 豊見城ノロの管轄である。ハーリーの発祥地・祭祀と雨乞いの拝所として大切にされてきた。漫湖に隣接しているだけあって、自然豊かな場所である。

 ここまでの記述をみるとさぞかし立派な風格あるグスク(御嶽)があるように感じられますが・・・残念ながらその面影はありません。

 ここは以前に「豊見城城跡公園」として、県外企業管理・運営であったそうですがそれも閉園となり今は立入禁止。拝所はもちろん城跡を拝むには“関係者への許可”が“事前”に必要だという。

 ハーリー祈願での祭祀も事前許可をもらって行なっているとか・・・ムラの行事をムラの人が行なうのに、事前の許可が必要って・・・なんだが寂しいお話し・・・その聖地が再び侵されようとしている・・・これが“現在という時代”なのであろうか。

 やんばるも、うかうかしていられないのだろう。

  ▲「守りたい!」とのメッセージが込められたチラシの一部。

  

参考文献

 『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社/『沖縄の地名』平凡社/『豊見城市史 第二巻 
  民俗編』豊見城市役所


2011121日(旧117日)天気:☁/☂ 気温:23/21(歴文センター:tama

 

 ついに12月・師走(旧暦も11月へ)。年末の大掃除に合わせて、いろいろ調査し、ため込んだ画像などを整理しながらこちらにアップしていきたいと思います。

  

 まず、つい先日のこと。映画の撮影が行なわれましたよ!

映画『カラカラ』出演には工藤夕貴さん。あまりの美人さんで大興奮のtama。

撮影風景を遠くからパチリッ!映画公開の際はみなさんもご覧なってくださいね!

ちなみに・・・

①沖縄・カナダの正式共同製作映画とのこと!
②プロデューサーは宮平貴子さん。
(沖縄県出身の監督で、jimamaさん(シンガーソングライター )は実姉。) 

 と、何気なく映画の話題を打ち込んでいたら・・・

なんと!なんと!今日、12月1日は「映画の日」だそうですよ!

 なんでも、1896(明治29)年のこの日に映画『エジソンのキネトスコープ』が日本で初めて一般公開されたのを記念して、1956(昭和31)年に制定されたとか!

歴史ある記念日なんですねぇ!

  ▲チケット売り場前にて撮影中・・・ 

 

 先月、恩納村恩納にて10年に一度の神アサギ屋根の葺き替えが行なわれた様子をお伝えしたかと・・・あれからしばらくしてドライブがてら出かけてみると、立派に完成しておりましたのでご紹介!(完成したのを報告するための御願も行なわれたのでしょう。ひじゅるウコーがありました。)

  

    ▲生まれかわった恩納神アサギ                ▲骨組もキレイですね!

  

     ▲赤い線がまだ残っています               ▲ここに使われたのね!

  ▲こちらもキレイに剪定されていました

 

 

 『読谷村の文化財ガイドブック』というものを持っているので活用しよう!ということでガイドブックを片手に出かけてみました!

 まず、何気なくたどりついたのが「泊城」というビーチ公園(渡久知泊城・渡久知ビーチ)。“城”という名にわくわくするtama・・・散策開始!

 ここは今帰仁と関係ありましたよ!若按司の岡春が身を隠していた洞窟があるとか!

  

     ▲誰が書いたか手書きの看板!            ▲これが伝説の洞窟!?

    ▲アーチ型がきれいです

  

▲比謝川河口。屋良城跡とツナガル・・・(対岸は嘉手納町) 
 

▲かつては港が存在していたようだ・・・

    ▲読谷は・・・唐船か?!

  

 民話・伝承で有名な「赤犬子」。初めて行きました・・・なんだか思っていたより、住宅街の中にひっそりとありましたよ。入口は特に分かりにくかったのです(^_^;)

  

     ▲立派な鳥居を発見!        ▲祠前の広場では芸能が奉納されるそうです


2011年11月18日(旧10月23日)

 とある日・・・歴文センターに可愛い仔猫が迷いこんできました。

 前夜の大雨でママとはぐれたのでしょうか・・・むちゃくちゃ怯えていた・・・

救出を試みたのですが逆効果で外のパイプをつたって手の届かないところへ・・・

その後予想通り、足を滑らせ3階から落下(;一_一)

 まっ、そこはネコなので無傷で勢いよく逃げていき、可愛いお客さんはいなくなりました。逞しく生きるんだぞぉ~~!達者でなぁ~~!

ちなみにみーちゃんは・・・最初は鳴き声を気にしていたものの、周りが仔猫に注目するので焼きもち焼いてました!自分が一番のみーちゃんです!(笑)

 

  

    ▲はじめまして、仔猫です。           ▲綱渡り状態に・・・

    ▲「ママ!ママ!(叫)」 

 

 自分が一番のみーちゃん。夕方になると館内へ・・・閉館時によく展示室内で身をひそめてしまうので、姿を隠される前に先手を打つことに!その手法は、ヒモつけちゃう!

 イヌは違和感ないけど、ネコがヒモで繋がれるのは何か違和感ありますね(^_^;)

 最初は鳴いて凄い顔して抵抗していたのですが、最終的には“ハイビーム”の上であきらめました。 

  

    ▲繋がれ、うな垂れ中・・・             ▲凄い顔中・・・


    ▲あきらめ中・・・


20111116日(旧1021日)天気:☀/☁ 気温:25/21(歴文センター:tama

 

 11月13日(日曜日)は、tamaにとって初めてづくしの1日でした!

 

 まず「①ツール・ド・おきなわ

 国内最大の自転車ロードレースが家からすぐ近くで行なわれているにも関わらず、ただ一度も見たことがなかった・・・

 今回は恩納までいくので早起きしたんだからみて見よう!と思い立ち見学。

 自転車いっぱい!!しかし、国道を完全に止めて自転車ロードレースができるのも沖縄だからだろうなぁ~・・・と妙に納得・・・

  

   ▲はっ、早い!!          ▲サポーター車も続きます! 

 

②恩納神アサギの葺き替え

 恩納村恩納の神アサギは現在でも原始的な姿を残す、立派な竹茅葺き屋根です。葺き替えは10年に一度のものなので、これを調査できることは幸運なことであり、とても有り難いことであります。

  

  ▲恩納の神アサギ、葺き替え前・・・        ▲神アサギの内部、葺き替え前・・・

  

  ▲骨組に刈りたての竹茅をのせていく      ▲大きな屋根にはたくさんの竹茅が必要

  

    ▲掛け声合わせて作業していく!        ▲別作業中・・・

  

    ▲どんどん、竹茅が搬入される        ▲どんどん、おじさん達も搬入される

  

    ▲こちらは竹茅を束ねる作業場。       ▲皆が休憩中、ひっそり結びの練習中。

 

 女性たちは調理室でなにやら忙しそうにしていたのがみえた。男性達は秋晴れの下で神アサギの茅葺きに奮闘中・・・みなさんとにかく、ワイワイ・ガヤガヤと楽しそうに作業をしていた!「女性達のヤグラ作るのも大変だなぁ~(笑)」と、冗談が飛び交っていました。

 完成した様子はまた、今度!!

    ▲(おまけ)恩納にゃー。

 

 

「③ピージャーオーラサイ」

 まだ間に合うかも!!と、恩納の神アサギの完成を見ずに慌てて北上。今度は瀬底島です!!なんとか、最後の勝負・一戦だけ間に合いました!!

 ヤギの闘い初めてみるのですが、角のぶつかる音はすごいです!

 

                 ▲これが、対戦表だ!

 

  

     ▲立派な横断幕!                 ▲もちろんあります!!

  

       ▲賑っています!                ▲これが、ヤギのぶつかり合い!

  

    ▲ヤギさん達の楽屋での風景・・・           ▲ヤギさんズラーっと!


2011年11月9日(旧10月14日)天気:☂ 気温:25/21(歴文センター:tama)

 暦の上では「立冬」を迎えましたが、沖縄はまだ半そでで過ごせる気温ですね。

 

 さて、丑之介氏おすすめの可愛い“マチヤー小”ができたとの事で、案内してもらいました!これが本当に可愛いの!何が可愛いって?画像をご覧あれ!(^o^)/

(店内の写真撮ったのですが・・・ブレテタぁぁぁ・・・・また行こう♪)

  

 ▲可愛いその① 手書きの看板!    ▲可愛いその② 手作の小さなお店!

  

 ▲可愛いその③小窓もあるよ!     ▲可愛いその④ミニ手書きの看板!

     

▲可愛いその⑤一番可愛いのが“カズ子”さん ▲可愛い?その⑥館長購入のツナ缶

 
 今朝のみーちゃん。外が雨模様ということもあってか、館内でくつろぐ・・・
 ってか、高校生の団体を狙って“かまってもらおう!作戦!”を決行したみーちゃん。見事にかまってもらい、みんなにチヤホヤされて上機嫌のみーちゃんでした!

 お客さんから目立つ所にスタンバイするみーちゃん。そこ、配布資料の上ですから・・・一応・・・(;一_一)

  
  ここでスタンバイしていれば!! ▲“かまってもらおう!作戦!”成功!


 ▲客足が途切れたので休憩中…

 


2011年11月5日(旧10月10日)天気:☁ 気温:27/24(歴文センター:tama)

  今月のムラ・シマ講座は「久志」となりました!行き先決まれば早速3人で下見です!

 久志についての詳しい内容やムラ・シマ講座の報告はまた今度にするとして・・・

このコーナーならではのゆるい内容をお届け♪

  まずは、久志にゃー(ネコ)の報告!

 何匹か見かけたのですが、みんな美人ネコさんでした!(ひとつは・・・ネコ科か?)

  

   ▲ドアのすき間から・・・警戒中            ▲集落内を優雅に歩いてました

  

  ▲井戸に五右衛門風呂にネコ          ▲どーしちゃったの??

 

 いいムラだなぁ~と、3人で散策していると、ふとみつけた石碑。下一部が埋まっていて何かの文字が隠れている。気になったので少し掘ってみることに・・・掘ってみる・・・誰か!スコップ!ってことで、今度のムラ・シマ講座でスコップ持参して行くべし!!

何の文字が隠れているのかなぁ~?ご存じの方いましたら、教えてください!!

  

       ▲掘る、仲原・・・             ▲掘る、仲原・・・見守る、丑之介

  

     ▲掘る、掘る、仲原・・・            ▲一文字出て来たよ!!

   ▲埋め戻しました・・・

  さぁ~。下見も終わり、お腹がすいた一行は新しくできた二見バイパスを通り「大浦わんさかパーク」にて昼食をとることに。すると、無類のぜんざい好き館長はすかさず注文し、パクパク・・・すると「このぜんざいは、氷がさらさらで・・・」と“ぜんざい論”を語り出す!!

 ぜひ、ムラ・シマ講座参加するさいにでも館長のお隣に座って“ぜんざい談議”繰り広げてみてはいかがですかなっ。

  

▲わんさか大浦パークです     ▲「ぜんざいの氷と豆とがな・・・」

  

   ▲試食できます!                 ▲地元野菜が並びます!


20111026日(旧930日)天気:☀/☁ 気温:26/21 (歴文センター:tama

 

 沖縄も朝夕と涼しくというより、肌寒くなってきましたね!

季節を知らせるサシバが飛来し、クボウの御嶽から早朝鳴き声が聞こえてきます! 

 

 さて、ため込んだ“ネコネタ”をここで一挙に出していこうかと!! 

 

 まず、みーちゃん。陽が傾いてくると館内へやってきます。そんなある日のみーちゃんはチケット半券を入れる小さな箱へと納まっていました。うつむき加減がいいですね!

 

  

      ▲箱入り娘。      ▲首の大きな鈴が後に悲劇をうんだ・・・

 

 たまには、お城のネコちゃんたちの様子もご紹介します!(ほんの一部です)

 

 (tamaは城主のトラちゃんが一番好き!見た目に反して鳴き声が可愛いのだ!)

  

      ▲城主のトラちゃん。               ▲トラちゃんのお手て

  

    ▲ネコ界の美人さん!               ▲ペロッ♪

  

  ▲オオタニワタリから生まれた?     ▲この子は緑のベットが気に入り♪

  

      ▲手前と奥・・・2匹。             ▲城壁と共に・・・2匹。

  

    ▲「殿」って名前↑               ▲城は我らの庭!! 

 

 

 ネコネタの番外編!!

 歴史文化センター近くに「ネコライオン」というカフェができました!(ネコ好きにはたまらないネーミングですね!)ってことで、丑之介氏と共に“偵察”に行ってまいりました!!(^o^)/

 こだわりの雑貨と美味しいドリンクがあり、注文したラテには可愛いお顔が!!

 かんちょーがイタリアンに行ってる間、しっかりと調査しましたよ!(笑)

高台にあるので、晴れた日には古宇利島が間近にみえました!

     (主にネコがいそうだが・・・見当たらず・・・)

  

    ▲綺麗なウッドデッキ♪           ▲主は白ネコか!?

  

 ▲手書きがいいね♪     ▲ラテには可愛いネコライオンの顔。


20111022日(旧926日)天気:☀ 気温:27/23 (歴文センター:tama

 

 みなさまご無沙汰しております!

館長がイタリアンに行っている間、こちらもバタバタ・・・

例えば?! 

 

丑之介氏とムラ・シマ歩きしたり・・・

優雅にお茶したり・・・(^_^;)

広島県の高校生の案内を助っ人の助っ人としてtamaが引き受けたのですが・・・

高校生のあのダラダラ感はなんなんでしょうか(;一_一)

まぁっ、「生もみじ饅頭」が美味しかったからいいかっ♪ 

 

と、そんなことをしてる間に今帰仁村では「第2回 総合まつり」が2011年10月22日・23日に行なわれます!!

そして、歴史文化センター3人は会場にて展示のお手伝いを行います。

書道・絵画・工芸などを丑之介氏、館長の指導のもと進められました!

お祭りでは、沖縄初!!芝にゴロゴロして花火が見れる!らしいですよ。他にもみどころ満載となっているのでぜひ足を運んでみて下さい!! 

 

 

   ▲今年のポスターデザイン!         ▲旗がゆらいで通りも賑やか!

 

 

   ▲オシピンと闘う丑之介!               ▲イタリアン帰りの館長!

 

  

   ▲他の作品も並べられてゆく・・・          ▲展示かたまりました!

 

  

     ▲きのこ形の看板可愛い!          ▲みなさんの力作♪

 

  

     ▲うさぎ雛が可愛い!                   ▲中学生のセンスが光る☆
  

 

     ▲おいしそうなのも並ぶ!             ▲綺麗なのも並ぶ!

 

▲遊園地もあるとか・・・子どもたちは待ちきれない様子!



  さて、旧暦も8月にはいると中秋の名月・十五夜に向けて各地で盛んに豊年祭などの祭りが行われたことでしょう!

 やんばるも例外ではありません。今帰仁村でも今年は今泊・湧川・上運天・勢理客・謝名の5字で豊年祭が行われました!

 

 今回はtamaが調査した今帰仁村や村外の豊年祭(村芝居)の様子を画像でご紹介したいと思います!画像から少しでも雰囲気が伝わればと思います!

 

【今帰仁村 5字の舞台】

 豊年祭本番が近付く、とある日、今帰仁村5字の舞台を館長、丑之介氏と共に確認してまわりました!

 

【謝 名】

 謝名では五年マールで豊年祭が行われている。謝名独特の演目がいくつかあり「クルク節」や「ヌンフル」「サンスル」などあるが、やはり「アヤーチ(操り獅子)」は文化財指定に選ばれるほど重要なものであり、謝名豊年祭の最大の特徴ともいえよう。

(謝名については、道ジュネーから舞台、アヤーチにいたるまで見学することができたので別枠で紹介する。)

 

  

     ▲字謝名の舞台              ▲地謡の幕にはウタが・・・おしゃれ♪

▲アヤーチ獅子のからくりをのぞき見る?

 

【勢理客】

 勢理客は五年マールで豊年祭が行われている。勢理客から渡喜仁が分字した過去をもつためか、プログラムには“渡喜仁婦人会”の名があり古地との繋がりが今だ感じられる。

  

  ▲勢理客農村公園の看板♪花笠♪            ▲舞台も準備OK!

    ▲道ジュネーはここを通るようだ

 

【湧 川】

 湧川区豊年祭は毎年行われている。湧川は「路次楽」が文化財指定を受けている。また、「七福神」の演目も湧川独特といえるだろう。

(棒・路次楽・獅子舞など道ジュネーの様子を記録したので別枠で報告する)

 

  

       ▲湧川の舞台                 ▲“前ヌピヤー”にて演武が披露される
 

獅子屋でも舞をみることができるのだ!

 

【上運天】

 上運天区の豊年祭は毎年行われている。舞台の地番は運天区となるのだが、上運天が使用。(かつて運天と上運天はひとつのムラであったのだ)

 

  

    ▲農村公園へのぼると舞台がある          ▲雨除けはバッチリ!

 

【今 泊】

 公民館前、コバテイシの横に舞台が設置されていた。今泊は五年マーイで豊年祭が行われる。賑やかな道ジュネーや太鼓を持たず男性のみのエイサー「ユーニゲ」などの他、“棒の今泊”と異名をもつほど、馬場跡(大道)にズラリと並ぶ棒術の勇姿は圧巻である。

(この日9月8日は今泊はムラ人へのお披露目の日、その模様を記録。別枠で報告する)

 

  

   ▲舞台では入念なリハが行われていた       ▲獅子加那子もスタンバイ! 

 


今泊区豊年祭 2011年9月8日(旧8月11日)

 今泊は五年マーイで豊年祭が行われる。今年は9月8日と中を入れ10日が正日となっている。初日8日の奉納踊り~道ジュネー~舞台の記録を画像で紹介する。

 

【奉納踊り】

 ヌルドゥンチから阿応理屋恵御殿の2ヶ所で御願、かぎやで風、棒術の奉納を行う。

 

【ヌルドゥンチ】

 長者の大主、二才、若衆、棒術、地謡のメンバー等をヌルドゥンチ(仲尾次さん)が迎える。区長さん、書記さんと共に御願を行い、お神酒のウサンデーを行う。それらを終えると、地謡の演奏でヌンドゥンチ内で若衆がかぎやで風を舞う。その後庭では棒術の演武が行われる。

 

  

  ▲大主、二才、若衆の到着!      ▲御願し、お神酒のウサンデー

  

   ▲奉納踊り                     ▲大主、二才も見守る

  

     ▲ドラの音に合わせ                ▲棒術を奉納

    

【阿応理屋恵御殿】

 ヌルドゥンチから移動し、御殿前にゴザを敷き大主、二才、若衆、地謡、区長さん、書記さん等が座り御願を行う。その後その場で若衆のかぎやで風を奉納し、御殿かたわらの道にて棒術の奉納を行う。奉納踊りはここで終わり、道ジュネーの準備へと入る。

  

      ▲御殿での奉納踊り             ▲見よ!この勇姿!

  

     ▲殿内の内部(位牌・香炉)      ▲供物(お神酒、お菓子、花米)

 

【棒術・道ジュネー】

 棒術は馬場跡(大道)にずらりと並び行う。30組ほどの棒術の演武がいっせい行われる姿には迫力がある。しかしかつてはもっと多くの勇姿を見る事ができたようで、これ以上の迫力があったと想像すると興奮を覚える・・・。

今泊の道ジュネーは賑やかである。他の字のように舞台出演者のみが列をなして歩くのとは違い、道ジュネーもひとつのステージであるのだ。獅子舞いに婦人会や老人クラブ、子どもエイサーをはじめ、今泊の伝統である“ピーヒャルラー”も練り歩く。

  

   ▲棒術の旗頭「進神遊」            ▲ズラ~っと並びます!

  

    ▲道ジュネーの旗頭「祈 豊年」        ▲今泊の獅子加那子

 

  

      ▲長者の大主御一行様            ▲華やかなのは丑之介氏ですよ♪

  

     ▲「南洋踊り」は見ものです!          ▲舞台前には大勢の観客が!

 

【舞 台】

 棒術・道ジュネーも終わり、間をおいてから舞台が始まります。今泊では長者の大主からはじまり、棒術、今泊の独特で伝統的なエイサーであるユーニゲなど20ほどの演目が披露されます。

  

     ▲大道に椅子が並ぶ!                  ▲青年会によるユーニゲ

  ▲トリを飾るは松・竹・梅(鶴・亀) 

  


謝名区豊年祭 9月10日(旧8月13日)

謝名では五年マールで豊年祭が行われている。謝名独特の演目がいくつかあり「クルク節」や「ヌンフル」「サンスル」などあるが、やはり「アヤーチ(操り獅子)」は文化財指定に選ばれるほど重要なものであり、謝名豊年祭の最大の特徴ともいえよう。

謝名では道ジュネー~舞台という流れで見学できた。

 

【道ジュネー】

 公民館~金城ミート隣りのアジマー~舞台へとゆく。

  

    ▲「みんなで成功させよう」!      ▲横断幕が道ジュネーの先頭です

  

     ▲操り獅子は担いで道ジュネー          ▲踊り手も道ジュネー

  

  ▲背中、カッコイイです!           ▲アジマー?では老人会が踊ります!

  

  ▲「祈豊年」とムカデの旗頭        ▲花と諜の旗頭

  

      ▲折り返して舞台へ      ▲道ジュネーを楽しむ乙女達♪

  ▲旗頭を神アサギへ立てる

 

【舞 台】

 舞台は31項目の演目が披露された。謝名独特の「クルク節」や「ヌンフル」「サンスル」などはもちろん、「アヤーチ(操り獅子)」には観客からひときわ大きな歓声があがった!

 

 

  

       ▲御礼満員です!                   ▲クルク節!

  

     ▲花風、キレイでした(^-^)         ▲これぞ!謝名のアヤーチ!

    ▲獅子使いの男達!!

  


湧川区豊年祭 9月11日(旧8月14日)

 湧川区豊年祭は毎年行われている。湧川は「路次楽」が文化財指定を受けている。また、「七福神」の演目も湧川独特といえるだろう。

 湧川の豊年祭は「棒・路次楽・獅子舞の部」(前ヌピヤー・獅子屋にて)と「踊の部」(公民館野外ステージにて)との大きく2部に分かれているようだ。今回は前半の「棒・路次楽・獅子舞の部」の記録がとれたので報告する。

 

【舞台広場から】

 ドラの合図で旗頭、棒、路次楽、地謡、長者の大主、若衆、二才の面々は新里屋の前を通り前ヌピヤーへと向かう。

 

      ▲舞台前での記念撮影!          ▲湧川の旗頭「祝豊年」

  

      ▲旗頭を先頭にして・・・           ▲新里屋前を通過する

  

      ▲のどかな道をゆく               ▲さとうきび畑をぬけてゆく

 

【前ヌピヤー】

 前ヌピヤーへ到着すると5時のサイレンが鳴るのをまち、5時ちょうどに路次楽のラッパと鼓の音に合わせて広場にて棒術、路次楽、長者の大主、若衆、二才踊りが奉納されます。棒の白い武着と黒い武着にわかれているのは、型が違うのです。

  

  ▲手前に路次楽、奥に地謡       ▲型がカッコイイ棒術!(白い武着)

  

   ▲広場では円になって              ▲絶妙なリズムの路次楽

  

        ▲大主の口説と踊り              ▲獅子屋へと向かう

 

【獅子屋】

 獅子屋では棒術、路次楽、長者の大主、若衆、二才踊りに加えて獅子舞いも披露される。“小屋から出てくる獅子”の演出は圧巻である。

  

    ▲獅子屋にはすでに見物客が!     ▲獅子加那子もスタンバイOK!

  

      ▲棒術を見守る獅子加那子         ▲路次楽を見守る獅子加那子

 

     ▲大主から獅子加那子へ口説      ▲奉納踊りを堪能する?獅子加那子

  

     ▲出番です!獅子加那子!       ▲いよいよ眠りから覚め動き出す

  

    ▲玉紐もらってはしゃぐ獅子加那子      ▲ツートンカラーの湧川の獅子加那子

 

 ここで前半部「棒・路次楽・獅子舞の部」は終了となる。

 湧川はここまでみて、名護市川上へと移動する。 

 


川上区豊年祭 9月11日(旧8月14日)

 名護市川上は2年マールで豊年祭が行われているようだ。川上でも操り獅子をみることができる。しかし謝名・伊豆味と違うのは、沖縄で一般的な人が中に入る獅子もおり、それを「獅子舞い」、操り獅子を「子獅子舞い」と呼び区別しているようだ。実際舞台でも操り獅子が演じられるかたわらで大きな獅子舞いも見守るようにいたのが印象的であった。

  

      大盛況です!             ▲人情劇、白い煙が上がります!

  

   ▲劇を食い入るように見つめる彼は・・・     ▲「大浦節」


  

      ▲川上、親獅子!                  ▲可愛い耳がついてます

  

     ▲「操り獅子」と「獅子舞い」                 ▲親見守り、子遊ぶ

  


東江区豊年祭 9月12日(旧8月15日)

 十五夜であるこの日。東江区では3日間行われる、中の日となる。東江では毎年行われている。珍しい演目としては「猿舞い」であるがこちらに後ろ髪ひかれながら移動してしまった。

 舞台の幕が上がると、すでに獅子加那子はおり、大主の口説もお神酒も獅子加那子へと捧げられるというオープニングはなかなか他では見られない演出である。

  

    ▲東江区公民館、屋台あり♪          ▲旗頭「東山榮歡」(裏)

  

  ▲幕が上がると獅子加那子がすでに     ▲凛々しい顔の東江の獅子加那子

  

    ▲可愛いかぎやで風に観客魅了♪          ▲東江区の獅子舞いです

 

 ここまで見て、慌てて伊豆味へと移動・・・来年こそは「猿舞い」を!! 

 


伊豆味区豊年祭 9月12日(旧8月15日)

 伊豆味は5年マーイで豊年祭が行われる。こちらも操り獅子が有名である。その他にも「大願口説」、最後に総出演で踊られる「スーウドゥイ」などが特徴的である。

 一瞬雨が降ったりもした。伊豆味区の踊り手は力強さを感じ、とにかく上手かった!!

  

     ▲テントの中にもたくさんの人           ▲テントの外にもたくさんの人


  

      ▲リズムのある「大願口説」          ▲これが、伊豆味の操り獅子

  

       ▲総出演で「スーウドゥイ」         ▲やっぱり締めはカチャーシーよね!

  

    ▲旗頭「豊年祭」             ▲お宮も着飾って!

      

 ▲公民館前にサガリバナが咲いていた           ▲横断幕と十五夜

 

 


仲尾次区豊年祭 2011年10月5日(旧9月9日)

 現名護市かつて羽地であった仲尾次。毎年菊酒の旧暦九月九日に豊年祭が行なわれる。明治23年から行なわれ今年はなんと120年目をむかえた。集落入口には横断幕がありました(9月末撮影)。

 五穀豊穣・無病息災・平和と3つの願いを豊年祭にこめる。豊年祭は全4日間(現在は3日間)行なわれる。

 

 1日目 ナージュクミ(シマの人のみ招待)

 2日目 スクミ   (敬老)

 3日目 ソーニチ  (正日) 旧9月9日:本番   (招待客)

 4日目 ワカレ(別れ)旧9月10日

(今年は10月4~6日の3日間)

  

    ▲仲尾次集落入口にて            ▲横断幕には“120年祭”の文字

 

 御願、奉納踊り(棒術)、道ジュネーは旧9月9日に行なわれる。

(この日は調査出来ず・・・14:00~御願、15:00~奉納踊り(棒術)、道ジュネーが行なわれたようだ。2009年に行なった調査画像も参照。)

 

【御願・有志親睦会】

 御願は神アサギなどを含め周辺拝所にて行なわれる。仲尾次の神人さんは現在ひとり。源清屋(ゲンセイヤー)の松田花子さん。

 神アサギ庭にて、供物のご馳走やお神酒、餅などが振る舞われていた。

  

     ▲仲尾次の神アサギ(09’撮影)    ▲仲尾次の神アサギ(09’撮影)

  

     ▲お神酒を注ぐ(09’撮影)        ▲仲尾次有志の方々(09’撮影)

 

【道ジュネー・奉納踊り(棒術)】

 公民館から太鼓とドラを鳴らしながら、旗頭を先頭に道ジュネーをして神アサギ庭にて「かぎやで風」と「棒術」の奉納が行なわれる。

  

    ▲道ジュネーの様子(09’撮影)            ▲棒術の奉納(09’撮影)

  

     ▲かぎやで風を奉納(09’撮影)          ▲旗頭は“鯉のぼり”(09’撮影)

 

【アジマー】

 神アサギ庭での奉納が終わると、神人、有志らと共に道ジュネーしながらアジマーへと向かう。アジマーに到着するとここでも奉納踊り(棒術)が行なわれる。

 

 

  

    ▲アジマーでの御願(09’撮影)           ▲旗頭らも共に御願

  

   ▲背中、カッコイイです!                  ▲奉納棒です(09’撮影)

 

 雨が心配されたが、道ジュネーの間は雨があがった。区内放送で「無事、道ジュネーを終えました。氏神に守られた。」などを言っていた!御願が通ったか?!

 

【舞台(広場)】

 舞台まで道ジュネーを行い、広場にて太鼓・ドラ・三味線に合わせて棒術を披露。神人も舞台から見守る。旗頭は広場後方へと設置された。

  

    ▲舞台での地謡と神人(09’撮影)          ▲広場では棒術(09’撮影)

 

【記念式典】

 今年は120年祭の式典が行われ、豊年祭への継承に功績を残した関係者らに表彰状などがおくられた。最後は万歳三唱をして今後の仲尾次豊年祭の発展を願った。

 受賞者の一人にブラジル在住の方がいて、その方の御親戚が代わりに賞状を受け取った。この方の賞状は他と違い、ポルトガル語にも訳されたものでそのままご本人へと郵送できるように工夫されていた。

 何よりも記念誌の発行を準備中とのことで、楽しみで仕方ない。

  

      ▲受賞をうける方々                  ▲記念式典の様子

 

【舞 台】

 御願・奉納踊り・記念式典を終え、6時半から舞台演目が披露された。今年は120年の記念というのもあり、「幕開き」にて中南部の郷友会の方々による三線・琴の演奏が行なわれた。その他にも松明をもって踊る「谷茶前」や「高砂」「平和踊り」「猩猩」などのプログラムには仲尾次独特の演目が続いた。踊りだけでなく劇にも歴史ある仲尾次はどれをとっても見応えありです!

 また、二人の有志の方々から舞台の幕が寄贈された。ひとつは「かつての仲尾次全景図」で、羽地大川と真喜屋大川の間にある仲尾次ムラ。たのう岳、黄金森、田んぼが広がる。

もうひとつは「浜辺」で、綺麗な青い海が描かれた幕である。

  

   ▲仲尾次ムラ全景と寄贈者のお2人           ▲浜辺の幕と寄贈者お2人

  

  ▲松明を手に「谷茶前」掛け声も面白い         ▲本土から伝わった「高砂」

  

  ▲現代劇「仲直り三良小」(親子出演)   ▲「平和踊り」(諜々・ぼたん・おし鳥)

  

  ▲歌も踊りも演奏も真喜屋小1~6年生     ▲独特の動きをみせる「猩猩」


  

    ▲仲尾次の「松・竹・梅」             ▲扇ではなく笠をもって踊る

  

▲時代劇「真壁チャーンと糸満マギー」(座員総出演)

 

 ここまでが舞台での演目。大きな拍手で終えると、観客は余韻に浸る間もなく慌てて立ちあがり広場を空ける。そこで棒術が披露されるのだ。

  

  ▲広場にて棒術。観客はまわりを囲む       ▲可愛い棒使い。今年のアイドル!

 

―メ モ―

 仲尾次の棒術について・・・

かつて松田鉄次氏(旧鉄次ヤー)は、今泊や湧川など祭りがあるときくと出かけて行って、その棒術の型を研究していたという。それらを持ち帰り、ムラの青年たちを集め自宅庭で酒を飲みかわしながら、練習をしていたという。そこから仲尾次の棒術が代々受け継がれているようだ。

 鉄次氏が亡き後も自宅庭は棒術の練習場とされてきていたが、スペースなどの問題で十数年前からは庭での練習は行なわれていない。

 また、鉄次氏の義理の娘、松田ナベ氏(旧姓津波)は長年神人を勤めた一人である。

(松田ナベ氏については歴文ホームページトップより「ヨリサゲ(名護市仲尾次)」にて調査報告してあります!)

 

  

     ▲豊年祭門(表)            ▲豊年祭門(裏)

  

   ▲故鉄次氏自宅庭

 


城区奉納祭 2011年10月6日(旧9月10日)

 名護市城は菊酒の旧9月9日を正日にして翌日、別れと2日間行なわれる。また呼称も“奉納祭”となっており、ナングスクへ奉納するという意識が強いようだ。実際去年、奉納御願・踊りの見学をさせていただいたので、その様子と今回の奉納祭の舞台の様子などを報告する。

 

【御 願】

 御願・奉納踊りがナングスクにて行なわれた。その様子を画像で紹介する(10’年調査)

まず、ガジュマル近くにある拝所で御願し、それからナングスクへ移動。

 まず神殿(女性のみ)での御願を行い、その後は根神屋とフバヌヒチャー(女性のみ)の二手にわかれての御願。

 御願を終えると神アサギ庭へと移動し、奉納踊りが行なわれる。

  

  ▲アパヌクでの御願(10’年画像)   ▲ムラの人達も共に御願(10’年画像)

  

 ▲神殿での御願(女性のみ)(10’年画像)  ▲拝殿には有志の方々(10’年画像)

  

  ▲根神屋での御願(10’年画像)     ▲フバヌヒチャーでの御願(10’年画像)

 

【奉納踊り】

 グスクにある神アサギ庭にて、地謡と踊手が奉納踊りを行う。

  

  ▲奉納・かぎやで風(10’年画像)      ▲国頭サバクイと布袋様(10’年画像)

 

  

  ▲グスク入口に掲げられた旗頭(10’年画像)    ▲「瑞氣 満城南」(10’年画像)

 

【舞 台】

 19時から公民館にて舞台演武が披露される。「国頭サバクイ」は一番の目玉である。その他にも「名護山樫子」(歌謡劇)や「久志の若按司 道行口説」「鷲踊」などが披露。また、子どもたちの参加も多く、とても可愛らしい。「名護山樫子」(歌謡劇)に関しては、女性部の皆さんの出演。(つまり全員女性!)なんとも頼もしい城区!

 演目最後には「国頭サバクイ」が定番になっているようだ。「七福神」が登場!区長自ら神々を城へ迎い入れ、これで一年間の城区の安泰が保証されるであろう。

 演目表示が行燈のようなデザインで粋なものになっているのも城民のセンスがうかがえた。

 終演後、この日が奉納祭最終日・別れであるからか、外で太鼓と拍子木の音に合わせて旗頭が掲げられた。

  

   ▲公民館前に旗頭と「高仰名護城」          ▲大勢の観客で賑う

  

    ▲ちびっこ「国頭サバクイ」            ▲「名護山樫子」(女性部の皆さん)

  

    ▲青年たちの「国頭サバクイ」            ▲七福神の御出座し!

  

    ▲行燈点いていないバージョン        ▲行燈点いているバージョン

 


2011年10月4日(旧9月8日)天気:☂/☁ 気温:29/24(歴文センター:tama)

 先日、通りかかったところにこんなん見つけました!

 名護市宇茂佐なのですが、拝所は宇茂佐のものではないんです!

 ここは墓地地帯・・・今は土地開発などで大きな道路が通ったり、緑の憩いの公園などになっている。一見ただの公園かと思いきや・・・

  

   ▲門中墓のひとつ               ▲(拝所石)ぷうみちゃ

  

     ▲こちらも門中墓                ▲周りも墓地地帯

  

  ▲公園なので東屋もあります       ▲説明板には当時の写真も!

 

ぷうみちゃ拝み -屋部大一門の牛焼き行事-

 今でこそ河川整備や区画整理により、畑地や宅地に利用されるようになったこの付近も、かつては屋部川の流域に発達した広大な湿地帯であった。満潮時にはさらに上流まで潮がさし、そこに点在した丘(ムイ)は、まるで湖水に浮かぶ島のようであったという。公園内にある南側の丘をプーミチャー、北側の丘を七月森(ナナシキムイ)と呼ぶ。プーミチャーは崖壁に、七月森は山頂の岩陰に墓があり、そこを屋部大一門(プーイチムン)では先祖の墓として拝んでいる。

 屋部大一門では毎年旧暦の11月吉日に、ここで「ぷうみちゃ拝み」を行ない、卯・未・亥年には一門中で買った牛を墓前でつぶして先祖に供え、共食する「牛焼き」が行われる。

 「牛焼き」前日の晩、大一門の宗家の一つである「あじみち」の神屋(ハミヤー)の前に牛がくくられ、当日の早朝、神屋の前で7回引き回された後、プーミチャーに向かう。プーミチャーの墓前で「今日が牛焼きの日である」ことを告げ、大一門の男たちの手で牛が解体され、ゆでた肉(シルページ)や牛汁が準備される。午後になると、屋部を中心に各地に広がった大一門の方々が拝みに訪れ、汁を食べ、肉を土産に交流を深める。拝みは大一門の宗家である「あじみち」と「石垣」の当主が中心になって行い、行事は大一門の三役が取り仕切る。他の地域に見られる「牛焼き」は、ムラに入る悪風などを防ぐために行なうムラの祭りであるが、この行事は一門の繁栄と交流を目的とする一門の祭りである。

平成15年 未年 屋部大一門」

(公園説明板より)

 

「ここの小字、プーミチャーで「大土原」と書く。プーは大きい、ミチャは土の意で「大神」とあてる説もある。」(名護ある記『宇茂佐をあるく』より) 

 

 面白いのが、この拝所ひとつでムラの移動などが垣間見れる!?

かつてここは、屋部ムラのプルジマであったんですよぉ~。屋部ムラはここから現在の場所へと移動・・・その後ここは宇茂佐地番へとなる。そのため屋部大一門は屋部ムラの人、現在は宇茂佐にあるけど宇茂佐の拝所ではないのが納得いくではありませんか!(^o^)/ 

 

「また、プーミチャー近くにナナシキムイ(拝所)という森がある。別名「ガイコツ山」というようです。そこにはある伝承があり、今帰仁からきた落ち武者が七ヶ月かけて上がったという説と、七ヶ月篭ったという説があるようです。こちらも宇茂佐の拝所ではありません。」(名護ある記『宇茂佐をあるく』より) 

 

 おぉ!今帰仁との関係がここに?!\(◎o◎)/!

 

 もうひとつ、ここから話しを枝分かれさせると・・・

公園説明板にあるように「牛焼き」は、今帰仁村天底にもこの行事の“名残り”がある。天底ではムラ行事のひとつで、ムラへの疫病祓いや故地・伊豆味ムラとの交流が目的とされる。

その場所はヤキバレーモーといい、天底団地向いの墓地集落の茂みの中に存在する。かつての道の面影はなく、お墓の敷地に取られている。ここでは牛肉を供えるという神行事が現在も残っている。この行事は天底の神人・栄一さん、区長さん、書記さんの3人のみで行う。ここには香炉があり、おそらく伊豆味に向っている。香炉のすぐそばには大きなクムイ(窪み)があり、かつてはここで牛の屠殺をおこないその肉を鍋で煮込み供えたという。分字である伊豆味と交代で屠殺を行い、供えていたが伊豆味まで行くことが困難になり、現在では遥拝のための場所とされる。

 

 ▲ヤキバレーモーにあるクムイ(今帰仁村天底)  ▲遙拝所とおもわれる(今帰仁村天底) 


2011年9月30日(旧9月4日)

 

 身近すぎて見落しがちな面白いものや珍しいものなどってあるのかもしれませんね。

そんなゆる~いことを、ゆる~く報告するのがこのページってことでこのネタです↓(笑)

画像からわかりますかね・・・(^_^;)

今帰仁城跡入口(今泊)バス停にて・・・

よぉ~~~くみると、うっすら文字がかくれている!

 

 

今帰仁城跡入口

 

兼 次⇔今 泊

 

                                

 

喜 名

 

親志入口⇔伊良皆

 

 

 「今帰仁城跡入口」の文字のとこには「喜名」の文字が・・・

バス停のこの看板はリサイクルなんでしょうか?

それとも発注ミスとかでしょうか?