上運天(今帰仁村)
2009年(平成21)・12月12日・土曜日
・上運天の概要
・上運天の神アサギ
・上運天の神殿(敬神の扁額)
・掟(ウッチ)火神の祠
・根神火神の祠
・上運天のウフェー(地番は運天)
・穴泉(アナガガー)
・ウキタのウタキ

▲上運天の神アサギ ▲根ヤー火神の祠
▲上運天の神殿 ▲ウフェーへの階段
上運天の概況(がいきょう)
・ウンシマウガンジュは遺跡になっていたグスク系土器、磨石、叩き石、須恵器、青磁器などが
確認されている。
・上運天はもともと運天と一つの村であった。
・運天の村が二つになったためウインシマ(上の島)とヒチャンシマ(下の島)と呼ばれる。
・ウタキの内部に神アサギ・ウタキのイベ・神殿などがある。
・ウタキの内部に集落があった痕跡が見られる。集落はウタキの周辺から下の方に移動している。
・オモロで「うむてん つけて こみなと つけて」とあるが、「こみなと」は浮田港ではないか?
・1741年(乾隆6)に大島に漂着した唐船を運天津に回したことがある。唐人を運天に囲っている間
大和船は古宇利島に停泊するよう指示がなされる。
・その時、具志堅親方(蔡温)も訪れている。その時の宿は上運天村である。
・大和役人の藤山藤兵衛、与力宮之原四郎右衛門などは上運天村で指揮をとっている。
・上運天には年二回のタキヌウガンがある(4月と8月)。その時のウタキのイベは運天のティラガマ
である。
・4月15日はアブシバレーとタキヌウガンが同時に行われる。
・6月25日にはシチュマとサーザーウェーがある。
・7月の後の亥の日はウフユミ(ワラビミチ)が行われる。勢理客ノロがやってくる。
・ウフェーの森があり、上運天と下運天の人たちが十五夜の行事を行っていた。
・上運天は毎年豊年踊が行われる。その会場は運天地番のウフェーで行う。何故?
・上運天の獅子は神アサギの中に置かれている。
・上運天の古い集落はアナガーバーリーとアサトゥである。
・1917年(大正6)に仲宗根に台南社の製糖工場ができ、浮田港に桟橋をつくり、仲宗根までレール
を敷きトロッコで運搬がなされた。
・戦争中は日本軍の高速輸送及び特殊潜航艇魚雷基地であった。そのため爆撃を受けた。
・1934年(昭和9)に国会議事堂の門柱につかわれたトラバーチン(石材)が積み出された。
・1955年(昭和30)貿易補助港の指定をうける。
・1959年(昭和34)北部製糖工場の建設に伴って岩壁の建設がなされる。
・1987年(昭和62)伊是名島へのフェリーは運天港(浮田港)から発着する。
・1990年(平成2)伊平屋島と運天(浮田)港間のフェリーが運航する。
上運天の位置図


崎 山(今帰仁村)(第6回)
2009年(平成21)・11月14日・土曜日

・崎山の神ハサギ
・崎山のお宮(拝所)
・ヒチャンパニモー
・崎山ヌンドゥンチ
・崎山の発祥地(メンスガー)
・池城墓/ウフドゥール
・炬港(テーミナト)/倉(倉庫)跡
・崎山泉(ヒチャマガー)
・ウドゥイバンタ(仲尾次が奉納踊りをする場所)

▲崎山の神ハサギ ▲村踊り(豊年祭)のハサギミャーの舞台

▲炬港(テーミナト) ▲崎山のウサバマ



仲尾の概況(旧羽地間切:現在名護市)
・故地はグスク時代の遺物が出土する。
・15世紀の初頭、北山が中山の連合軍に滅ぼされたとき、中山や北山の一部が「かんてな港」に
集結した。
・仲尾はヌホーやノホーやナカオと呼ばれる。別名「かんてな」ともいう。
・『絵図郷村帳』や『琉球国高究帳』で「なかう村」と記される。
・1622年の辞令書に「はねちまきり 大のろこもひ」とある。
・仲尾ノロは仲尾村・川上村・田井等村の祭祀を管轄する。海神祭の時は、羽地間切のノロ全員
が仲尾村に揃う。
・『琉球国由来記』(1713年)で羽地間切の惣地頭は仲尾村の神アシアゲと池城神アシアゲ(田井
等村、後に分離した親川グスクのある親川村か)の祭祀と関わる。
・1785(乾隆50)年に種子島の船頭が勘手納港から米を積んで出帆した(仕上世米か)。
・1816年バジル・ホールの一行が仲尾村や親川村や仲尾次村付近を訪れている。
・1835年に仲尾村の集落は故地(半田原)から兼久に移る。
・故地の半田原にヌルガー・ヌルドウンチ跡・根神ドゥンチ跡・神アサギ・ペーフドゥンチ跡・ニガミ
ガーなどが残る。一帯は仲尾古島遺跡となっている。
・兼久地へ集落が移動するが、回りの丘陵地は集落の抱護となっている。
・仲尾の田畑は故地あたりに広がっている。
・仲尾の故地の近くに親川(羽地)グスクがあり、堀切を挟んで仲尾のヒチグスク(ウタキ)がある。
・近くに親川村があり、羽地番所があった。仲尾村の勘定納港は羽地間切の穀物(租税)の
集積港として機能する。
・明治13年の仲尾村の世帯数59、人口(314人:男164、女150)である。
・明治14年上杉県令日誌に「官庫瓦ヲ以テ葺ケリ」とある。
・仲尾は小字(7つ)拝原・新高原・半田原・仲真原・阿根謝原・門天原・仲尾原からなる。
・明治41年羽地間切は羽地村(ソン)となり仲尾村(ムラ)は字仲尾となる。
・大正8年8月に仲尾トンネルが開通する。
・昭和41年12月に仲尾トンネルが改修される。
・昭和45年に名護市の字となる。
▲仲尾の現在の集落 ▲仲尾トンネル
▲故地にある仲尾ノロドゥンチ跡 ▲故地にあるウペーフドゥンチ跡
歴史的な港―運天港(3回)
(21年7月11日 土)
夏休みが近づいています。梅雨があけあつい日がつづいていますが元気でやっていますか。
3回目の「ムラ・シマ講座」は、今帰仁村運天(うんてん)のちょうさをします。みんなのいい報告や感想がありました。今回もよろしくお願いします。
運天は小さな空間ですが、今帰仁グスクと同様、歴史的に重要な場所です。運天港に番所(役場)や在所があったため、役人達がつとめた場所でした。運天は他の村(ムラ:アザ)とは変わっています。どんなところが違っているのでしょうか。調べてみましょう。
☆ 7月11日(土) 午前9時に歴史文化センターに集合
↓ 出席の確認
↓ 9時30分 出発
↓ 運天へ
↓ 運天のウタキ(ティラガマ)(源為朝公が一時住んだという場所)
↓ 百按司墓(ムムジャナ墓)
↓ 運天森(源為朝公上陸址之碑・運天港をみる)
↓ 運天隧道(トンネル)
↓ 運天の大川
↓ 運天の神アサギ(井戸など)
↓ 大北墓(ウーニシ墓、大和墓など)
↓ 運天の番所(役場)跡(大きなコバテイシ)
(報告は運天港でします。ジュースを飲みながら!)
(一時、歴史文化センターで解散です)
☆ 持ってくるもの・・・・2Bのえんぴつ、消しゴム、タオル、水とう、ぼうし
☆ かならず運動ぐつをはいて来てください!! サンダルやぞうりではケガをします。
☆ ガジャン(カ)がたくさんいますので個人で対策を。
すべりますので、足元には十分気をつけてください。
♪お休みをするときは電話してください! 56‐5767 歴史文化センターまで
♪雨がふったら、歴史文化センターの中で行います。

▲運天のムラウチ集落 ▲昭和36年の運天港と番所(役場)の様子
今帰仁グスク周辺
2009年(平成21)・6月13日・土曜日
第17期第2回ムラ・シマ講座開催のお知らせ
ムラ・シマ講座参加者のみなさん
梅雨に入っていますが、いいお天気が続いていますね。みなさんはお元気でお過ごしでしょうか。
さて、第2回の「ムラ・シマ講座」は、「グスク周辺」の調査です。今帰仁グスク周辺には三つの村(集落)がありました。そこに家があった証として火神の祠(ほこら)がいくつもあります。また、祭祀(さいし:神行事)の時に使われたシニグンニや海神祭(ウンジャミ)の時にウガンをするウーニ(舟)などがあります。
ミームングスクは見張り場所だったかもしれません。それと、まだ不明ですが人が住んでいた、あるいは祭祀場の跡とみられる何ヶ所かの場所があります。それはとても不思議な場所です。そのような場所に足を運んでみましょう。
☆ 6月13日(土) 午前9時に歴史文化センターに集合
↓ 出席の確認
↓ アオリヤエ火神の祠/今帰仁ノロ火神の祠/トモノハーニー火神の祠
↓ ハンタ道
↓ ミーンムングスク
↓ 集落跡? 祭祀場(三、四ヵ所)
↓ ハンタバルウーニ(ハンタ原のお舟)
↓ シニグンニ
12:30 歴史文化センターで報告 ・・・・・・ 解散
☆ 持ってくるもの・・・2Bのえんぴつ、消しゴム、タオル、水とう、ぼうし
☆ かならず運動ぐつをはいて来てください!! サンダルやぞうりではケガをします。
☆ 今回の場所は坂あり、岩あり、ガジャン(か)がおり、の場所です。
☆ 飲み水持ってきていいですよ。
♪お休みをするときは電話してください! 56‐5767 歴史文化センターまで
♪雨がふったら、歴史文化センターの中で行います。
【グスク周辺】(雨の合間をぬっての調査でした。雨に濡れず、無事終了)
@今帰仁ノロ火神の祠 Aトモノハーニ火神の祠

Bミームン(見物)グスク Cハンタ道

D人工の石積みや祭祀空間? Eハンタバルウーニ(御舟)

Fシニグンニ

G館内で報告・・・(みーちゃんがお迎えです。ごくろうさんでした!)

仲尾次(なかおし)
2009年(平成21)・5月16日・土曜日(晴)
・仲尾次の神ハサギ
・仲尾次の石橋
・掘り込み井戸(チンジャ)と石柱
・泰山石敢當
・戦没者の慰霊塔
・石切り場
・竜宮(洞窟)(どうくつ)(イジュヌイヤーヤ)(今回、満潮でいくことできず)
晴天でした。仲尾次では村移動と石文化、それに気づいてくれたかな。満潮時にかかり、イジュヌイヤーヤは行くことができる(小学生二人のみ、靴をぬらしていってくれました)。今回は小学生のみの報告。いつものことながら、素直ないい報告をしてくれました。大人顔負け。ごくろうさんでした。

▲仲尾次の神ハサギ
▲石
橋

▲仲尾次の井戸(イリヌハー:チンジャ) ▲海岸の石切り場









仲尾次の概況
・仲尾次は方言でナコーシやノホーシとよぶ。
・現在の仲尾次は11の小字からなる(当原・水溜原・仲道原・前原・神里原・バナ原・前平
原・新石原・立石原・上原・尾山原)。
・当原(アタイバル)は、その村(ムラ)の中心となる。今帰仁グスクの前もハタイ原という。そこ
はかつての集落の中心であった。
・仲尾次は1600年代には「中城村」とある。
・今帰仁村に玉城と兼次がある。玉城はタモーシ、兼次(兼城)はハニーシという。中城は?
・仲尾次はスガーウタキ(ナカグスク)あたりからの移動村である。
・今でもウタキ(グスク)にウガン(祈願)にいく。(旧1月1日、五月ウマチー、七月最後の亥の
日、九月ウマチー)
・もともと「中城ノロ」を出す村(ムラ)だった。
・中城ノロは崎山・仲尾次(中城)・諸志(諸喜田)・兼次の祭祀(さいし)をつかさどる。
・農村構造センター(公民館)前に神ハサギあり、神道(ヌル道)が残されている。
・仲尾次は山手から海岸に細長くのびる。
・豊年祭のスタートは崎山のウドゥイバンタでの御願踊り(ウガンウドゥイ)を行う。
・北山高等学校がある。
・ハウス栽培のスイカや野菜栽培がさかん。
・仲尾次に数か所に石橋があった。その一つが残っている。
・現存する石橋の近くは水溜原(ミンタマイバル)といい、池があった。
・イリガーと呼ばれる井戸がある。そのような井戸はチンジャという。吊るカーのことか。(石柱がある)
・海岸に石柱を切り出した石切り場がある。
・イジヌイヤーヤ(岩屋)、竜宮の神様をまつってあるとか。鍾乳洞(しょうにゅうどう)の洞窟(どう
くつ)になっている。あるユタが1971年に設置した「酉龍宮権現」の碑がある。

▲仲尾次のナカグスク(ウタキ) ▲グスクの中の石積み